記事一覧:洞察 脇役が主役に変わるとき128件
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洞察 脇役が主役に変わるとき
松坂投手の日本復帰に思う 大投手特有の“図太さ”が鍵
2014年12月20日号米大リーグ、メッツからFAとなっていた松坂大輔投手のソフトバンク入団が決まった。12月5日に行われた入団会見では「期待も感じるし、それに応える自信もある。不安もあるが、プレーしていく中で打ち消していけたらいい」と話したという。
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洞察 脇役が主役に変わるとき
勝負事に「定石」はない 原監督が見せた巨人の“強さ”
2014年12月13日号今季から評論家として各球場を回らせてもらったが、印象深かったのは巨人が見せた“強さ”だった。主力選手が軒並み不調で、故障者も続出した中でのリーグ3連覇。クライマックスシリーズのファイナルステージでは阪神に敗れたが、今年はこれまでの強さと種類が違っていたからだ。
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洞察 脇役が主役に変わるとき
今季で辞任の小川監督に学んだ チーム運営での「役割」の重要性
2014年12月6日号プロで生きる術を教えてもらったのが野村克也監督なら、プロの世界に導いてもらったのは、今季限りでヤクルト監督を辞任した小川淳司監督だった。プリンスホテルから入団した1995年当時、担当スカウトをしていただいた。今でも年に一度、同じく担当だった石井弘寿氏(現ヤクルト2軍投手コーチ)、度会博文氏(現ヤクルト球団職員)と4人で食事をさせてもらっている。
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洞察 脇役が主役に変わるとき
高卒新人でも3年はかけられない 戦力外と1軍定着にある意識の差
2014年11月29日号プロ野球の世界では、シーズンが終わると戦力外通告が行われる。一つの球団の支配下登録選手は最大70人(育成選手を除く)。誰かが入団すれば、誰かが退団しなければならない。ドラフト会議で指名されて希望に目を輝かせる新人がいる裏で、厳しい現実を突き付けられる選手も多い。
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両リーグ最多安打の山田選手 64年ぶりの記録更新の背景
2014年11月22日号「きょうの反省を言ってみろ」「バッティングですか?」「違う」「守備ですか?」「違う」……。今年のシーズン中、ヤクルトの山田哲人内野手と、電話でこんなやりとりをしたことがあった。8月31日の阪神戦(甲子園)。山田選手は一回に右中間寄りにヒットを打った。センターの福留孝介外野手が半回転して打球を捕ったのだが、彼は一塁ベースを回ったところで止まり、二塁を狙うそぶりさえ見せなかった。
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洞察 脇役が主役に変わるとき
ロイヤルズ青木選手の活躍に思う 「優勝経験」が高める選手価値
2014年11月15日号あと一歩だった。米大リーグ、ロイヤルズの青木宣親外野手がワールドシリーズに出場したが、第7戦でジャイアンツに敗れて世界一はならなかった。青木選手には優勝が決まった瞬間、マウンドにできる勝利の輪の中にいてほしいと思っていた。残念ではあったが、テレビに映る表情を見て「いい顔で野球をしているな」と思った。
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ドラフト会議に見るパの強さ 「運命」決めるドラマの賛否
2014年11月8日号今年もパ・リーグの勝負強さが目立った。10月23日、東京・グランドプリンスホテル新高輪でドラフト会議が行われた。4球団が競合した早稲田大学の有原航平投手は日本ハムが、愛媛・済美高校の安楽智大投手は楽天が、それぞれ抽選で交渉権を獲得した。
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新庄剛志氏から「遊び心」を習得 引退する稲葉選手が見せた成長
2014年11月1日号10月5日、プライベートで札幌ドームを訪れた。今季限りでの引退を決めた稲葉篤紀外野手の引退試合を、スタンドで観戦するためだった。2学年下の彼とは1995年にヤクルトに同期入団した間柄だ。4万人以上が稲葉ジャンプをする光景を見て、改めて「北海道の稲葉」になったと感じた。
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38歳で「配置転換(コンバート)」 選手生命を延ばした貴重な経験
2014年10月25日号プロ野球の世界でも、「配置転換(コンバート)」をされることがある。38歳を迎える2008年のシーズン。ショートからサードに守備位置をコンバートされたのだが、嫌な経験だった。 ショートというポジションには、強いこだわりを持っていた。自分は打撃ではなく、守備を認められてプロになった選手。一番守備がうまい選手が守るショートから外れるということは、自分の価値が下がるということだったからだ。
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洞察 脇役が主役に変わるとき
ロールモデルは成長の始まり 影響を受けた立浪和義先輩ら
2014年10月18日号「誰々さんのようになりたい」という憧れは、誰でも持ったことがあると思う。ビジネスの世界ではロールモデルと呼ぶそうだ。身近な目標を持つことでその人を観察して、行動パターンを身に付けていく。プロ野球の世界でも、まねをすることが上達の近道になることがある。
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組織に不可欠なムードメーカー WBCで川崎選手が見せた存在感
2014年10月11日号チームにムードメーカーと呼べる選手がいるかどうかで、ベンチやロッカーの雰囲気は大きく変わる。プロ野球のシーズンは長い。結果が出ていないときに全員が下を向いてしまうよりは、明るい選手がいた方がいい。チームとしてポジティブな雰囲気を保った方が、好結果につながりやすいのは当然だろう。
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洞察 脇役が主役に変わるとき
“夢は大きく”ばかりではダメ 大きな目標と小さな目標を持つ
2014年10月4日号「プロ野球を代表する選手になりたい」「新人王になりたい」。プロ野球の世界に飛び込んでくる選手の多くがそんな目標を口にする。目標は高い方が成功する──。世間で当たり前のようにいわれていることだが、大きな目標ばかりでは行き詰まってしまうというのが私の実感だ。
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洞察 脇役が主役に変わるとき
「外部の血」がチームを変える “野村再生工場”で学んだ組織論
2014年9月27日号ヤクルトが3度日本一になった1990年代、他球団を自由契約になったり、トレードで移籍してきた選手が次々と活躍して「野村再生工場」と呼ばれた。ヤクルトしか知らない私は、外の世界が知りたかった。ましてや他球団で実績をつくった人ばかりで、どういう人なんだろうという興味もあった。移籍してきた選手には、自分から話を聞きにいったものだった。
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洞察 脇役が主役に変わるとき
変化するときは「ゼロ」から勝負 丁か半かの賭けで“守備専業”脱却
2014年9月20日号守るだけの自衛隊──。野村克也監督にそう言われていた私に転機が訪れたのは、5年目を終えた1999年のオフだった。宮崎県西都市で行った秋季キャンプで、臨時コーチを務めた中西太さんの下で打撃改造に取り組んだ。
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洞察 脇役が主役に変わるとき
「牛若丸」に教わった守備の基礎 さらなる成長には“常識”を疑え
2014年9月13日号野球を始めたばかりの小学3年生か、4年生のころ。阪神タイガースの遊撃手として、ベストナインに9回輝いた吉田義男さんの野球教室に参加したことがあった。私が所属していたチームを含めた数チームが、募集に当選したのだ。
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洞察 脇役が主役に変わるとき
恩師・PL中村監督から学んだ 野球の身体作法の変遷と危機感
2014年9月6日号甲子園の思い出といえば、2年夏の決勝戦(常総学院戦)のこと。三塁を守っていた深瀬猛さんが準々決勝の習志野戦で右肩を脱臼し、三塁で先発出場することになったのだ。捕手の控えに打撃のいい人がいたので、その人が一塁に入り、片岡篤史さん(元阪神)が三塁を守ると思っていた。先発出場は寝耳に水のことだった。
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洞察 脇役が主役に変わるとき
母校PLの高校野球敗退に思う プロ入団後にも通用する指導法
2014年8月30日号夏の甲子園が始まった。母校のPL学園高校は大阪大会の決勝戦で大阪桐蔭高校に1-9で敗れ、夏の切符を逃した。初めて球場で観戦したのだが、OBとしては「この試合を見て、大人は何も思わないのだろうか」という寂しさを感じた。
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洞察 脇役が主役に変わるとき
本塁打王バレンティンと意見交換 活躍外国人に共通の“ずる賢さ”
2014年8月23日号前回、外国人選手と接する上では、彼らの考えや文化を尊重することが大切と書いた。東京ヤクルトスワローズでうまく付き合うことができた外国人選手といえば、2013年にシーズン60本塁打でプロ野球記録を更新したウラディミール・バレンティン外野手になるだろうか。
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洞察 脇役が主役に変わるとき
「助っ人」選手の考えを尊重する 異文化コミュニケーションの鍵
2014年8月9日号プロ野球のチームには、外国人選手が在籍している。「助っ人」と呼ばれることも多いわけだが、彼らとのコミュニケーションには気を使うことが多かった。長年、チームを引っ張ってきた古田敦也監督が現役を引退し、高田繁監督(現横浜DeNAベイスターズ・ゼネラルマネジャー)となった2008年のこと。2月に沖縄県浦添市で行われた春季キャンプで、アダム・リグス内野手と言い合いになったことがあった。
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勝負の世界で広がる「験担ぎ」 気持ちのコントロールには必要
2014年8月2日号野球の世界では「験担ぎ」をする監督や選手が多い。有名なのはヤクルトスワローズ、阪神タイガース、楽天イーグルスで監督を務めた野村克也さんだ。勝った試合の日の下着は着替えないのだという。チームの連勝が続けば、ずっと同じ下着を履いていたというのだから、徹底している。