2013年9月6日、ロシア・サンクトペテルブルクを出発し、アルゼンチン・ブエノスアイレスへ向かう政府専用機、ボーイング747の機体前方の秘書官席では言い知れぬ緊張が漂っていた。
わずか30時間後に、20年五輪招致の総会を控え、安倍晋三首相以下、官邸スタッフの元には現地から「福島第1原子力発電所の汚染水問題がネックとなり、苦戦」との情報が伝えられていた。また日本では、東京電力の下河邉和彦会長が「五輪で負ければ辞める」と周囲に漏らしていた。
「汚染水には触れざるを得ない」
官邸スタッフは、総会で首相が行うスピーチ原稿を書き直し、首相も機内で演説の練習を続けた。ギリギリの路線変更だった。
こうして、東京五輪招致の決め手になった「汚染水アンダー・コントロール」の演説は生まれた。
Photo by Hiroaki Miyahara
汚染水対策がおぼつかないこともあって、後の国会審議で、この「アンダー・コントロール」が厳しい追及を受けることになるのだが、一躍 〝国際公約〟となったことで、福島第1原発事故の果てしなく厳しい現実が耳目を集めることになり、国も本格的に対応せざるを得なくなった。
「福島の問題は国が責任を持たないと、前進しない」。首相のスピーチからさかのぼること2週間前。自民党内でも福島をめぐる議論がスタートしていた。
東京・永田町の自民党本部5階にある東日本大震災復興加速化本部に、大島理森本部長が復興庁幹部と共に、経済産業省や財務省、そして環境省の局長クラスを次々と呼び、「勉強会」を開いた。
「震災3年を迎える前に福島に向き合わないといけない」として、難題山積みの福島に関する復興提言をまとめるべく、関係省庁の調整に乗り出したのだ。
経産省と財務省がバトル
負担はすべて“国民”に
この動きは東電と、所管官庁である経産省にとって、渡りに船だった。東電は総額10兆円規模の賠償や廃炉、除染費用が重くのしかかり、当初の再建計画が破綻しかけていた。昨年11月には社外取締役総出で国に支援を求めたが、政権交代前夜だったこともあり、たなざらしになっていたのだ。
自民党の動きを察知した経産省は素早く動く。上田隆之・資源エネルギー庁長官が早速、原発の現状を説明に訪れたと思えば、経産省から東電に送り込まれた嶋田隆執行役も、「除染費用は5兆円以上」と書かれた分厚い資料を持って関係各所に支援要請に回った。
勉強会では「廃炉と賠償は東電の責任でやるが、除染費用は復興の一部だ」として除染の全額国費負担を訴えた。同本部で委員長を務める額賀福志郎元財務相も経産省・東電に同調した。
この動きに待ったをかけたのが財務省だった。除染を所管する環境省と共に「除染は汚染者負担」と猛反対。財政規律を重んじる財務省は、汚染水対策として9月に470億円の国費が投入されたことも我慢ならなかった。
衝突がピークを迎えたのは11月初旬。上田エネ庁長官と、財務省の福田淳一主計局次長が、加速化本部で向かい合っていた。除染の費用を国と東電がどう分担するかの記述をめぐり、「机の下で蹴り合うバトル」(関係者)を繰り広げていたのだ。結局折り合いがつかず、大島氏が引き取った。
こうしてまとめられた与党提言には、東電の廃炉・汚染水部門の分社化、そして除染の一部国費負担が盛り込まれた。大島氏は「東電救済ではない」と話すが、東電にとっては何よりも欲しかった〝救いの手〟だった。