巷の国債暴落論に欠けている
閉ざされた"談合市場"の掟

 なぜ、これだけのことで騒ぎになり、財務省にとって上顧客であるはずの三菱UFJがわざわざ、謝罪に行くような事態になるのか。

 背景には、決して外からは垣間見ることのできない、“国債ムラ”の独特のルールがある。そこには、なぜかお上に気を遣おうとする“慣習”が存在するのだ。

 巷にはさまざまな国債暴落論が溢れているが、その多くはマクロ経済分析に基づくものだ。だが、日本の国債市場は、財務省・日本銀行・大手銀行の“あうんの呼吸”によって安定を保ってきたといっても過言ではない。「市場」とは言い難いムラ社会的な色の濃い日本の国債市場には、そう簡単には崩壊しない、見えないシステムが内在している。

 逆に言えば、市場メカニズムによって効率的に動いてきたわけではなく、いわば“談合”が続いてきた世界。その象徴の一つが、一見すると理解し難い巨人・三菱UFJの行動だ。

 「国のメインバンクになる」──。三菱UFJ幹部の一言に、本誌も驚いた。「うちは、ただもうかればいいわけではない。意味のないプライドと満足感を持っているんですよ、国を支えているというポジションに、ね」。

 たとえ自身の財務が傷ついても、「外国人投資家の売りを買い支えたこともある」というのだから、国を守るという“使命感”はある意味、称賛に値する。

 確かに国債ムラのルールはこれまで国債の安定消化を支えてきた。一方で、この談合システムが抱える最大の問題は、経済の“体温”である金利というシグナルを、国債市場が正しく発していない可能性が高い、ということだ。

 いうなれば、国債市場における談合とは、経済の“体温計”を意図的に破壊している状態。国家財政の状況を鑑みれば、本当はとうに高熱状態(高金利)にあるかもしれないのに、平熱だと言い聞かせ、無理をして走り続けているようなものだ。

 そこに潜む本当のリスクとは、徐々に金利が上がるといった予兆もなく、ある日金利がワープして跳ね上がる“突然死”である。