1度目は1950年、「東の東芝、西の鈴木」といわれた日本最大級の労働争議が前年に勃発し、大赤字を計上したときだ。
初代・道雄社長は当時のトヨタ3代目社長、石田退三氏に2000万円の融資や役員派遣を請い、石田氏もこれを快諾。石田氏はスズキを訪問し、社員を前に「スズキの経営に口を出すつもりはないので、安心して仕事に励んでほしい」と述べたという。
2度目は1976年、東京で初の光化学スモッグ被害が発生したことを機に排ガス規制が強化されたときだ。スズキはクリアのめどが立たず、絶望的な状況に陥る。最後はトヨタからエンジンを供給してもらい、九死に一生を得た。
このとき、当時のトヨタ5代目社長、豊田英二氏に救済を依頼したのが、修会長(当時、専務)その人なのだ。「修さんは、英二さんには感謝している」。両氏を古くからよく知る自動車ジャーナリストはこう解説する。
偶然なのか、スズキとトヨタは、共に自動織機メーカーとして産声を上げ、発祥の地も同じ遠州(静岡県西部地方。現・浜松市)と縁が深い。修会長が同世代で関係も良好といわれる豊田章一郎・トヨタ名誉会長に3度目の救済を請うとしても意外感はない。
自動車産業の戦いは今、環境・安全規制の強化を背景に国家間競争の性格を強めつつある。
規模拡大路線を取って赤字転落の憂き目に遭ったトヨタが再びボリュームを追求することはないにしても、国を背負う業界の盟主としての自覚はあるはずだ。日本の自動車産業の未来を考えたとき、スズキが救済を請えば断るとは考えにくい。
トヨタにしてみれば、スズキは提携相手としても魅力的に映るはずだ。スズキは世界で戦える小型車と、世界4位の巨大市場に浮上するインドでの圧倒的シェアを持つ。VWもそこに目を付けていたほどで、トヨタが自前では苦戦している商品サイズと市場を手中に収めることが可能だ。
本誌は9月下旬、修会長にトヨタとの新たな提携はあり得るか、単刀直入に真意を尋ねた――。
アナリスト4人が大胆評価!
「生存確率」が高いのは?
日本の自動車メーカーは数が多過ぎる──。世界を見渡しても、一国に乗用車主体のメーカーだけで8社が乱立しているのは異様な光景だ。これまで8社が併存できたのは、旺盛な国内市場があったことはもとより、各社が商品や技術、戦い方で差別化し、独自の進化を遂げたことと無縁ではない。
今回の特集では、長年、自動車業界をウオッチしてきた有力アナリスト4人に、日系メーカーを五つの物差し(経営者、商品、技術、社交性、将来性)で大胆に評価してもらった。〝定量分析〟にめっぽう強い彼らだが、普段から密接なコミュニケーションを取っているからこそ分かる、各社のカルチャーや特異性、独自性をあぶり出すため、あえて〝定性評価〟にこだわった。