『週刊ダイヤモンド』12月16日号の第1特集は「ソニー・ホンダの逆襲」です。ソニーとホンダは、尖った商品を次々と世に送り出し成長してきましたが、近年、消費者を驚かせるようなヒット商品を生み出せていません。両社は、次なる成長のために“唯我独尊”の姿勢を改め、電気自動車(EV)の共同開発に乗り出しました。本特集は、EV共同開発の裏側に迫るとともに、ソニー、ホンダの実力や課題を明らかにします。(ダイヤモンド編集部副編集長 千本木啓文))

プレステ級のヒット作出ないソニー
HVでトヨタに負けたホンダが狙う起死回生

 ソニーは2022年、EV事業への参入を決めた。共同開発パートナーに選ばれたのはホンダだった。

 ソニーとホンダの創業者である井深大氏と本田宗一郎氏は、独創的な商品を開発する技術者として互いにリスペクトするだけでなく、強い絆で結ばれていた。

 井深氏は著書『わが友 本田宗一郎』で、本田氏について「尊敬してやまない先輩であり、ひとりっ子の私にとって、まことに頼りになる兄貴だった」と敬愛の意を表している。

 ビジネスにおいて2人が特に共鳴していたのは、物づくりの重要性だった。対談で井深氏が「物を作ることを捨てちゃ絶対だめで、このおじさん(本田氏)が一番いい例を示しているように、物を作らなきゃだめです」と発言すると、本田氏が「お釈迦になってもいいから、作ることだね。(中略)物を苦労して作った奴ほど強い奴はいないね。物を作ったことがない奴は、皆だめだ」と応じるといった具合だった。

 この対談が発表された91年から30年以上を経て、ソニーとホンダはEV事業で手を組むことになった。EVを開発するソニー・ホンダモビリティ(SHM)を、50億円ずつの折半出資で設立したのだ。

AFEELAプロトタイプ Photo:Japan Mobility Show

ソニーはリストラで理想工場から乖離
ホンダも“らしさ”を喪失

 ただし、SHM設立に至るまでの二十数年間は、両社にとって苦難の連続だった。

 ソニーは90年代後半から10年代半ばまでの長きにわたり「早期退職」という名のリストラを続けた。多くのベテラン社員が会社を去り、残った社員も萎縮した。結果的に、井深氏が設立趣意書に記した「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」という創業の目的からソニーは遠ざかってしまった。

 リストラ当時から、ソニーの祖業であり、物づくりの代表格であるエレキ部門は低収益部門として問題視されていたが、リストラ終了後も低迷は続いた。

 長らくヒット商品や新規事業の成功から遠ざかっていたソニーの製造部門(半導体事業を除く)にとってSHMによるEV開発は久しぶりの前向きなチャレンジなのだ。

 他方、ホンダの苦悩もソニーと同様に深刻だった。99年に満を持して発売したハイブリッド車(HV)初代「インサイト」が、先行していたトヨタのHV「プリウス」に挑み、返り討ちに遭った頃から低迷が始まった。

 コンパクトカー「フィット」は02年、ホンダの登録車としては初めて国内販売台数が1位になるなど一時成功を収めたが、13~14年に計5回のリコールを実施する事態となって消費者の不信を買い、売れ行きが鈍ってしまった。

そうした苦境を脱するため、ホンダが選んだパートナーがソニーだった。ソニーは創業者同士が共鳴していたことが示すように、組織風土と理念に共通点が多い。ソニーは、自動運転で車からハンドルがなくなる時代の移動体験を実現するVR(仮想現実)の技術や、ゲームや音楽といったコンテンツなど、ホンダにはない資産を多く持っている。

ソニー・ホンダの新型EVの勝機を 経営力ランキング292社、特許ランキング88社で検証

『週刊ダイヤモンド』12月16日号の第1特集は「ソニー・ホンダの逆襲」です。

 ソニーとホンダは、EV事業をテコに、既存事業の収益力を高めようとしています。

 しかし、肝心のEVが販売不振に陥れば、ソニーとホンダの野望は絵に描いた餅に終わってしまいます。

 本特集では、両社のEV事業の成否を探るため、投資余力(経営力ランキング292社)や技術力(特許取得数ランキング88社)などで競合他社との実力差を徹底比較しました。

 また、ソニーとホンダが抱える経営課題に迫ります。両社は「創業者の理念」や「独創性」を復活させられるのでしょうか。