汐留事業4号株式会社──。一風変わった名前のこの会社は、ソフトバンクグループの孫正義社長が、いつ新規事業を立ち上げてもいいように準備されているペーパーカンパニーの一つだ。
所在地は東京都港区のソフトバンク本社の住所と同一。設立時の代表取締役は関連事業部の三村一平部長で、どんな新規事業にも対応できるよう、会社目的も電気通信事業やコンピューターソフトウエアの制作・販売、有価証券取得・運用などと幅広く記されている。
今年7月、この汐留4号の法人登記に変化が起きた。目的がより具体的な記述に変更されたのだ。そこに躍るのは、「人工知能(AI)」の文字だった。
人工知能に関するプログラムの研究、企画・開発と販売・利用。人工知能に関するプログラムの技術指導・導入支援。人工知能に関する各種コンサルティング。人工知能に関わる調査分析──。
ソフトバンクが水面下で進めているAI新会社が、間もなく動きだそうとしているのだ。
そして、代表取締役が三村部長から代わり、あるソフトバンク元幹部の名前が記されていた。
かつて孫の懐刀だったがたもとを分かった、仁木勝雅氏である。
仁木氏はソフトバンクが2005年に買収した英国通信大手の日本法人、ケーブル・アンド・ワイヤレスIDC出身。ソフトバンクでは投資企画部長として、06年の英ボーダフォン買収など、数々のM&Aを手掛けてきた。
孫社長の無茶振りともいえる構想を、M&Aという結果へと堅実に落とし込んでいく仕事ぶりから、「孫さんの信頼が厚い人物」(ソフトバンク幹部)とされていた。
ところが、14年に入社した元米グーグル最高経営幹部のニケシュ・アローラ氏が、孫社長の後継者候補としての地位を固めていく過程で、投資事業はアローラの担当へと移り、仁木氏のM&Aチームは解散させられてしまった。
仁木氏は16年9月に会社を去り、地元・広島の総合スーパー、イズミの事業戦略部長の職に新天地を求めた。
だが、仁木氏はわずか半年足らずの今年2月末にイズミを退職してしまった。理由は定かではないが、「想像と現実が違った」と周囲に漏らしていたという。
そこにすかさずソフトバンクの青野史寛常務が「戻ってきたら面白いポジションがあるぞ」と声を掛け、呼び戻した。
出戻りエースをトップに据えたAI新会社は、その人選から孫社長の肝いりのプロジェクトであることは確かである。来月にも正式発表される見通しだ。
1兆個の半導体から集まるデータで超知性が誕生する
「コンピューターの脳が人間の頭脳を上回る『シンギュラリティ』は、30年以内に必ず訪れる」
ここ数年、孫社長はプレゼンテーションでシンギュラリティという言葉を好んで使う。
アローラ氏への後継者のバトンタッチを撤回し、自ら社長を続ける決断を説明した際にも、「シンギュラリティの到来が迫り、情報革命はこれからが本番。やり残したことがあり、社長を続けたいと欲が出てきた」と述べている。
シンギュラリティの時代に誕生すると孫が予言するのは、大量のデータを自ら集めて学習・分析し、思考する「超知性」だ。
超知性の実現を可能にするキーワードとして孫が挙げるのが、「AI」「ロボット」「IoT」である。その言葉通り、孫社長は今、この三つの領域への投資を加速させている。
AIの分野では、冒頭で紹介した新会社設立が間近に迫っていることに加え、AIの学習向け半導体で〝1強〟の地位を築きつつある米エヌビディアに約4000億円を突っ込んだ。
ロボットでも今年6月に米ロボットベンチャー、ボストン・ダイナミクスと東京大学発ベンチャー、シャフトの2社をグーグルから買収し、投資を加速させている。
そして、孫社長が三つのキーワードの中で最も重要だと位置付けるのがIoTであり、そのための布石が昨年9月に3・3兆円で買収した英半導体大手アームである。
超知性の〝思考力〟の源泉となる膨大な量のデータを集めてくるためには、末端のセンサー一つ一つにデータを収集・送信するための半導体が欠かせない。
「今から20年以内に、アームは1兆個の半導体を地球上のありとあらゆるものにばらまく」
こう豪語する孫社長は、あらゆるモノに半導体が搭載される時代が到来した暁には、交通や医療、農業など、従来は情報通信とは縁遠かった産業でも情報革命が起きていくと確信しており、ここにもいち早く投資の手を伸ばしている。
テックコングロマリット(巨大企業集団)。海外ではソフトバンクのことをそう称する。通信会社としての成長期にあった時代のソフトバンクには、ドコモや日本電信電話(NTT)という、目標にできる格好のお手本があった。だが、いまや孫社長が志向するテックコングロマリットのお手本は世界のどこにも存在しない。ソフトバンクは孫社長も知り得ない未踏の領域に踏み出したのだ。
世界と日本で分裂する二つのソフトバンク
2部制で催された社員大会は、分裂する二つのソフトバンクを象徴するかのようでした。
6月27日、東京駅近くの東京国際フォーラムで開催されたソフトバンクグループの社員大会。第1部では、持ち株会社ソフトバンクグループの孫正義社長と外国人取締役3人が登壇。急拡大する海外事業についてのプレゼンを済ませると、4人はそのまま会場を後にしました。
続く第2部では、持ち株会社傘下の通信事業会社ソフトバンクの日本人取締役から技術部門1・4万人の半減が打ち出されました。
孫は今、来るべきIoT(モノのインターネット)、AI(人工知能)、そしてロボティクスの時代に備えて海外事業に心血を注ぎ、国内事業への関心が極端に薄れているといわれています。
海外シフトを主導するのは、取締役の過半数が外国人に刷新された持ち株会社です。
昨年には日本企業による海外M&Aとして史上最高額の3・3兆円で英半導体設計大手のアームを買収。さらに今年、サウジアラビアと共同で10兆円ファンドを立ち上げて海外投資をさらに加速させています。その先に孫社長が目指すのは、世紀を超えて続く「300年帝国」の建国という野望です。
ソフトバンクの取締役会は全欠席
内部から聞こえてくる矛盾と不満
急激な海外シフトの裏で、孫社長はグループの営業利益1兆円のうち7割を稼ぎ出すソフトバンクの経営会議には全く出席しなくなりました。世界への飛躍に傾倒し、国内事業軽視にも映る孫社長の動きに戸惑う国内社員との距離は開くばかりです。
ソフトバンクの中堅幹部は「このままじゃ、ソフトバンクは日本と世界で分裂する」と危惧しています。
日本国内ではまだ携帯電話大手や通信大手と評されることの多いソフトバンクだが、海外ではすでにテックコングロマリットと呼ばれています。
ソフトバンクはまさにその過渡期にあり、孫社長が知らないところで矛盾や不満が表面化してきました。それをことさら批判するつもりはありません。それこそが組織を飛躍させるために必要な当然の「痛み」だからです。最強の「テック財閥」へ脱皮しようとするソフトバンクで何が起こっているのか。その内幕を徹底取材しました。