三重県亀山市。シャープの液晶事業の"聖地"に、鴻海精密工業(ホンハイ)の郭台銘会長が突如として現れたのは、大型連休を控えた4月27日の夜だった。
亀山工場にあるテレビの組み立て工場1階の集会場に、液晶部隊をはじめ工場の管理職200人以上が疲れた表情で集まると、程なくして、軽く手を挙げながら登場した郭会長が口を開いた。
「SDP(堺ディスプレイプロダクト)に出資して、4年がたとうとしている。3年連続で営業黒字になったことはとても喜ばしく、勤勉なSDPの社員を私は誇りに思う」
通訳を介しながらそう切り出すと、「翻って、今のシャープはどうか。ろくに設備投資もできず、銀行の管理下で自由な経営ができなくなっているではないか」と急に発言のボルテージが上がり、そこから2時間は、郭会長の〝独演会〟と化した。
「何度も言うが、これは出資ではなく投資なんだ」「あなたたちは、赤字に対する危機感が薄いのではないか」など、社員たちを叱咤する言葉が続く中、話はなぜか日本電産にも及ぶ。
「人材が日本電産に流れるような状態が続いている。あの会社は人を引き抜いて、シャープをつぶそうとでもしているのか!」と批判を始めたのだ。
折しもその2日前、日本電産はシャープの大西徹夫元副社長が顧問に就くという人事を発表している。シャープの元社長で、現在日本電産の副会長を務める片山幹雄氏が、優秀な人材を集めようと強力に裏で糸を引いていることが気に食わなかったわけだ。
ただ、この郭会長の発言を、人材の流出を何としても食い止めようという思いから出たものとは、誰も受け止めなかった。
それもそのはずだ。4月2日の買収契約調印以降、郭会長をはじめホンハイチームは、大阪市の本社にたびたび乗り込んでは、「追加で2000人の人員削減が必要だ」と、強く経営陣に迫っていたからである。
「従業員の雇用維持」という文言が契約書にある以上、出資前に、あくまで現経営陣が自ら判断し、実行したことにしろと言っているに等しかった。
郭会長の要求はそれだけではない。「夏までに、本社を堺工場に移転したらどうか」「液晶関連の契約は今後、(ホンハイ傘下の)群創光電(イノラックス)を通してほしい」など、無理難題を次々と押し付けている。
創業100年超の名門企業はなぜ転落したか
2014年12月。年の瀬が押し迫るころ、代表取締役・財務担当で副社長(当時)の大西徹夫が本社の経理スタッフを伴って、液晶事業の「総本山」亀山工場(三重県亀山市)に乗り込んだ。
「無理せんで」
液晶部門のスタッフは大西の言葉に耳を疑った。折しも、液晶の現場は、年明けの商戦に向けて中国市場での契約獲得に奔走していた真っ最中だ。
さらに、当時、液晶を指揮していたのは同じく代表取締役で専務だった方志教和。年末に持病の腰痛の手術入院を控えていたとはいえ、事業トップの頭を越えて本社の財務担当役員が日常業務に直接介入するのは異例の事態だった。
急な大西の介入を境に、張り詰めていた営業部隊の士気が下がると同時に命令系統が乱れ、業績が急激に崩れ始めた。
なぜ大西は液晶事業の足を引っ張るような愚行に出たのか。背景にはシャープ経営陣の醜悪な権力闘争がある。
11〜12年度のシャープの巨額赤字の元凶だった液晶事業は、13年度に415億円の黒字を計上。液晶だけで全社の営業利益の40%を稼ぎ出し、一転して「復活のけん引役」に祭り上げられた。14年4〜9月期には中国のスマートフォン向け液晶で前年比5倍の売り上げを突破し、下期も一段と拡大する計画を立てていた。
シャープ復活の先頭に立った液晶事業は「花形部門」の地位を取り戻し、そのトップを務めていた方志には、主力行の一部から「社長にしたらどうか」との意見まで飛び出す。目立ち過ぎた方志を、社長の髙橋興三や大西らは苦々しい目で見詰めていた。
そんなとき、事態は急変する。14年10月、台湾のタッチパネルメーカー、勝華科技(ウィンテック)が経営破綻。同社経由でタッチパネルを装着して液晶を出荷していたシャープを直撃した。大口顧客の北京小米科技(シャオミ)向けの供給がストップ。間隙を縫って、ジャパンディスプレイ(JDI)が、タッチパネルを組み込んだ「インセル」型液晶でシャオミの取り込みに攻勢を掛けてきた。
大西ら本社部隊は、この機を逃さず液晶事業に介入。「ウィンテックを経由するシャオミ向け液晶に損失は出るが一過性のもの」と液晶事業部門は説明したが、大西は受け入れず、「無理せんで、無理せんで」と、事業活動の足を引っ張り続けた。
15年3月期決算で、液晶在庫と亀山・三重工場の減損で計1072億円の損失を計上。15年5月14日の決算発表で、連結最終損失2223億円の巨額赤字を計上した経営責任を取り、方志は6月の株主総会で退任が決まって失脚した。
一方、2000億円を超える巨額の損失を出したにもかかわらず、社長の髙橋の責任は一切問われなかった。財務責任者である大西は、代表取締役を外れたが、副社長執行役員として残留し、のうのうと生き延びた。(敬称略)
ホンハイ傘下でシャープは再生できるのか
『週刊ダイヤモンド』5月21日号の第1特集は「背徳のシャープ 液晶敗戦の全顛末」です。かつて「液晶のシャープ」で世界に名を馳せた名門企業はなぜ、身売りをするまでに転落したのか。社内外での取材を通して驚愕の事実が次々と浮かび上がってきました。
身売りに至った背景には、身の丈を超えた過剰な液晶への投資を続けた経営判断のミスに加えて、醜悪な権力抗争に明け暮れて経営危機を放置した経営陣の無為無策があったのです。「誠意と創意」という同社の経営信条に対する背徳行為を目の当たりにして、多くの人材がシャープから去って行きました。
そんなとき“救世主”として現れたのが、郭会長率いる台湾EMS(受託生産)大手のホンハイでした。しかし、冒頭のエピソードからもわかるように、ホンハイは、救世主どころか「進駐軍」として無理難題を突き付け、シャープを振り回しています。
本特集では、台湾での現地取材で、年商15兆円の巨大企業ホンハイグループの全貌を明らかにするとともに、豪腕経営者・郭会長の素顔にも迫りました。
さらに、巨額投資で価格競争に走る中国勢や有機ELにシフトする韓国勢など、ディスプレイパネル産業に起こっている構造変化の現状と未来も展望しています。
私が初めて触れたシャープ製品は、業界初の「一発頭出し機能」を備えたモノラルのラジカセでした。子どもながらに「すごい!」と感動したことを覚えています。あの輝きは、なぜ消えてしまったのか。果たしてよみがえるのか。本特集をぜひご覧ください!