偏差値一辺倒の価値観を
大学入試から変えていく
●下村博文・文部科科学大臣インタビュー
──今求められている「生きる力」とは何だと考えていますか。
生きる力というのは、時代によって違っています。人類の歴史は農業革命、産業革命を経て今、情報革命に入っている。日本では1990代に情報化社会に移り、それまでの産業化社会とは別の力が必要になると定義付けられた。
産業革命のときの生きる力とは暗記・記憶が中心で、〝坂の上の雲〟に向かって、しっかりしたルール、マナーを持ち、求められた指示通りにやるというもの。いわば戦前であれば兵隊、戦後は優れた官僚や会社員が求められた。
ところが情報化社会は、坂の上の雲なんかなく、この先どうなるか見通しが利かない社会。そのときに、これまでの大学入試に出たような暗記・記憶は通用しない。そんなものはスマートフォンで調べればすぐ分かるわけで、ロボットや人工知能に代替できる力です。
ニューヨーク州立大学大学院のキャシー・デビッドソン教授は「今の子供たちの65%は、大学卒業後、今は存在していない職業に就く」と言っている。また、オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授は「今後10〜20年で約47%の仕事が自動化される」と言った。なのに、今まで通りの教育をしていたら、失業者をどんどん出すことになる。
そういう変化の時代に対処する能力は、基礎基本の暗記に加え、いろんな課題に対して自ら主体的に取り組み、指示待ちではなく自ら解決する能力。さらにクリエーティブな創造・企画の力も問われる。そして、コンピュータがいくら発達しても到達できないであろう、人間的な感性や優しさや思いやりも必要です。
そういう力を、発達段階にある子供たちに育み、社会で生きていける力を付けていきたい。
──悪名高いゆとり教育も、もともとはそれを目指したものでした。
日本は90年代に情報化社会に移ったわけで、その意味でゆとり教育は時代コンセプトには合っていたんです。しかし、そのためのカリキュラムが現場任せだったため、1〜2割の教師は対応できたが、残りの8〜9割は子供たちを図書館に連れていって百科事典を書き写させるような「ゆるみ教育」になった。いわば、教育界における〝失われた20年〟です。
しかし、偏差値エリートだけではもはやダメで、全ての働く人が主体的に課題解決に当たり、クリエーティビティを発揮し、人間的な感性が求められるんですよ。そうでないと社会で使い物にならない。これは、これからの時代を生きる人全てに問われる問題です。
なのに、どれだけの親がその事実を認識しているでしょうか。
日本の教育についての認識には40年の開きがあると常々感じています。今私が言っているのは、20年先の日本を考えたときに今から準備すべき教育改革の話。ところが、ほとんどの親は自分の受けてきた教育を例に出して、同じものをわが子に伝えたいという。いわば20年前の話をしている。そして世間一般の今の教育課題がある。つまり、20年前、今、20年先の話が一緒になっているところがある。
自分の経験則が一番正しいと思う前に、そのモノサシがこれから20年先もそのまま使えるかということをよく考えてほしい。
──ゆとり教育が理論だけで終わったのは、中等教育を変えようとしても肝心の大学入試が旧態依然としていて、「偏差値エリートの選抜試験」から脱し切れていなかったから。その点、今回、大学入試を改革するというのは意義があると思います。だが、肝心の大学側は自ら変われるものでしょうか。
重要なのは「こんな学生に来てほしい」というアドミッション・ポリシー(入学者受入方針)、「その学生をどう教えるか」というカリキュラム・ポリシー(教育課程編成・実施方針)、「どう学位を与え、社会に送り出していくか」というディプロマ・ポリシー(学位授与方針)です。大学が明確なポリシーを設け、それに沿った入試を行い、学生に対し、社会に対して責任を持たなければならないんです。
また、日本の若者は自己肯定感が低く、今の高校1年生の87%が自分はダメだと思っている。それはモノサシが一つしかないことが原因の一つ。価値観が偏差値一辺倒になっているからです。
これを、企業が就職試験でとっくにやっているような小論文や面接など学力以外の多様な試験をすることで、多様な能力を育てていくような高等教育にしたい。
(インタビューの続きは本誌で)
「ジグソーパズル型」から
「レゴ型」の学力へ
今週号の第一特集は「息子・娘を入れたい学校」です。
今、明治以来といわれる大きな教育改革が進んでいます。「高校教育→大学入学者選抜→大学教育」を一体的に改革する「高大接続改革」と呼ばれているもので、今の中学1年生が高校3年生になる2020年度の大学入試が切り替えのタイミングとなります。
今、求められている「学力」とは何か──。今回の教育改革では「学力の3要素」として、①基礎的・基本的な「知識・技能」、②それらを活用するための「思考力・判断力・表現力」、③学習に取り組む態度としての「主体性・多様性・協働性」が定義されました。
「学力観」の変化については、リクルート出身で公立中学の民間校長も務めた「教育改革実践家」の藤原和博氏が、特集の冒頭でわかりやすく説明してくれました。
20世紀の成長社会から21世紀の成熟社会に移り、「ジグソーパズル型」から「レゴ型」の学力が求められているというのが、大きな流れ。成長社会には必ず何らかの「正解」があり、それに向かってジグソーパズルのピースを埋めていくような「情報処理力」が大事でしたが、成熟社会にはジグソーパズルの完成図のような正解などなく、むしろレゴブロックで自分の思うような形を創り上げていく時代。あるいは周りの人と議論して、考え方や見方を修正しながら、お互いに「納得解」を探っていくような「情報編集力」が必要となるということです。
実は、「ゆとり教育」というキーワードで知られる2000年代の教育改革も、根底にあったのは、「知識や技能」中心の学力ではなく「思考力や問題解決能力などを重視し、生徒の個性を伸ばす」という「新しい学力観」でした。知識重視型の詰め込み教育から、学習時間と内容を減らして、ゆとりある経験重視型の教育に変えるというものだったのです。
偏差値や合格実績を排除した
新・学校選びランキング
実は本誌では、2003〜06年に4度にわたり、「息子・娘を入れたい学校」という、今週号と同タイトルの特集を組みました。当時の問題意識もまさにそこにありました。本誌の中心的読者であるビジネスパーソンは成長産業から成熟産業への移行と、求められる力の変化について、心と体で実感していたはずです。だからこそ、働く父親や母親である彼らこそが、この大変化を子供たちに伝え、教育方針と学校選びの基準を再考すべきという問題提起をしたわけです。
ところが、小中高でいくら新しい学力観への転換を唱えても、大学入試では相変わらず知識偏重のペーパーテストによる選抜をしていました。それでは“従うのは損”と考える親子が出てくるのも無理はありません。
その意味で、ゆとり教育に突き進む公立校を見限り、私立の中高一貫校の人気が高まっていったのは必然だったといえます。そしてその一方で、それぞれに独自の建学の理念を持ち、学校ごとに多様な価値観を持っていたはずの私立校も、大学進学実績ばかりが重視される中で、個性を失っていきました。
時代は多様化に進むべきはずなのに、大学進学実績とそれをベースにした人気指標としての偏差値が、学校選びの絶対的なモノサシとして存在感を増していったというのは、皮肉な成り行きでした。残念ながら、本誌の学校特集もそうした流れに抗えず、コンセプトを変えていったという反省すべき経緯があります。
しかし、今回の高大接続改革では「知識偏重型」から、前出の「学力3要素」を総合的に見る多面的な「人物重視型」へと、大学入試自体が大きく変わる予定です。その先駆けとして東京大学と京都大学が、2016年度4月入学の選抜試験に推薦入試を採り入れます。「能力・人物重視で“突き抜けた”才能を採りたい」と、南風原朝和・東京大学副学長が本誌にその狙いと内容を語ってくれました。
このほか、首都圏と関西圏の8都府県の約480に中高一貫校にアンケートを実施し、回答のあった304校を対象に、「英語教育力」「キャリア教育力」「財務の健全性」「運営の安定度」の各指標に基づき「学校選びランキング2015」を作成しました。偏差値や合格実績を全く用いない、新しい学校の評価軸だと自負しています。
また、本誌が実施したビジネスマンへのアンケートでは、学校選びのポイントとして6割以上の人が教育方針や校風を挙げました。学校選びに重要なのは、建学の理念などに則した“校風”にあり、ということで、アンケート回答校が「育てたい生徒像」をはじめ、校風に大きく関わる宗教性や、独自調査した学校の経営安定性に関わる自己資金構成比率などのデータも掲載しました。
いわゆる受験雑誌とは一味違った教育特集を、是非ご一読ください。
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◆藤原和博さん
これからの子供に求められる力って何ですか?
◆Part1 常識一変! 明治以来の大教育改革が進行中
◆Part2 英語、キャリア教育 模索する学校の現場
◆Part3 脱・偏差値&合格実績 新・学校選びランキング
◆Part4 独自調査で判明! 校風と求める生徒像