記事一覧:週刊ダイヤ 日本経済100年45件
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週刊ダイヤ 日本経済100年
【1920年恐慌】 株価暴落で始まった 1920年代の不況
2013年6月15日号第1次世界大戦後においても、依然日本経済はバブル景気の中にあったが、輸入超過を抑えて対外為替相場を維持するために、金融は引き締められつつあった。当時の日本には、例えば船を建造しようとすれば自前で鋼材を十分生産できるほどの工業力はまだなく、必然的に海外からの輸入を増やしていかざるを得なかったためである。国際収支の制約条件から国内の金融政策が制約を受けるという事態は、第2次世界大戦後の高度成長期前半にも見られた「ストップ・アンド・ゴー政策」と同様であった。
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週刊ダイヤ 日本経済100年
【大戦後経済】 財界の投機的行動を生む 政府の緩和策に警鐘
2013年6月8日号「ダイヤモンド」1919年の誌面には物価の上昇・下落をめぐっての論説・社説が目立って多くなった。経済にとって物価上昇が望ましいのか、はたまた下落が望ましいのか──。今日においても物価の上昇・下落、インフレ・デフレをめぐっては議論が絶えないが、当時この物価問題に注目が集まった理由の一つは、階級間の所得分配の不平等が今以上に大きく、下層階級の生活状況の悪化が即、社会主義革命を招来し得るような状況にあると考えられていたからである。
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週刊ダイヤ 日本経済100年
【米騒動】 相場師を市場から追放も 高値を付け続けた米価
2013年6月1日号第1次世界大戦中の1917年、ロシアで人類史上初の社会主義革命が勃発しニコライ2世は殺され、ロマノフ朝は滅亡した。この革命に対して行われた干渉戦争が「シベリア出兵」(1918~22年)である。時の寺内正毅内閣も軍隊の派遣を決定し、その撤兵まで足かけ5年に及んだ。一方、1918年に入るとそれまで安定的に推移していた米価が急上昇を始めた。1月には大阪・堂島の米市場で1石当たり15円程度であった米価が半年後には倍になるという異常ぶりであった。
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週刊ダイヤ 日本経済100年
【第1次世界大戦勃発】 “大正新時代の天佑”で 対外債権を持つ一等国に
2013年5月25日号「ダイヤモンド」創刊翌年の7月、欧州で世界大戦が勃発した。当時、この戦争が「第1次世界大戦」になるかどうかは誰も知り得ないので、「欧州大戦」「欧州の大乱」などと誌面では表記されている。また、開戦当初はすぐに終息するだろうと思われていたためか、誌面に「戦争」の文字を見いだすことすら難しい。戦争が長引き、日本経済にも次第に影響が出始め、それが誌面でも取り上げられ始めたのは、1915(大正4)年の秋ごろからであった。
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週刊ダイヤ 日本経済100年
【「ダイヤモンド」創刊】 数値に基づく「算盤主義」で “経済戦”の時代を先導
2013年5月18日号今から100年前の1913(大正2)年5月10日、「ダイヤモンド」が産声を上げた。創刊当初は月刊誌で1部10銭。当時最もポピュラーであった、たばこの「敷島」が20本入り10銭で同額であった。「敷島」は日露戦争の戦費調達の一環として1904年に発売されたものであったが、「ダイヤモンド」の発刊も日露戦争後の社会情勢を抜きには考えられない。