記事一覧:週刊ダイヤ 日本経済100年45

  • 【創業者・石山賢吉死去】先進国入りと同時期にビジネス総合情報誌へ

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【創業者・石山賢吉死去】 先進国入りと同時期に ビジネス総合情報誌へ

    2013年11月9日号  

    東京オリンピック開幕を目前にした1964年7月23日、ダイヤモンド社の創業者・石山賢吉が病のためその生涯を閉じた。享年82歳。この連載でも再三再四、石山の論説を取り上げてきたが、大正期における経済雑誌時代を先導し、その生涯を経済ジャーナリズムの発展に捧げてきた人物の死は、日本経済とダイヤモンド社の大きな転換期にまさに重なっている。

  • 【東京オリンピック】日本の認識を高めた五輪“アキバ”に外国人が殺到

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【東京オリンピック】 日本の認識を高めた五輪 “アキバ”に外国人が殺到

    2013年11月2日号  

    アジアで初めての夏季オリンピック大会が1964年10月10日、東京で開幕した。経済界もこれを歓迎したが、特に開催地・東京では、外国人観光客を当て込んだホテル業界やインフラ整備の建設業界に「特需」が舞い込んだ。

  • 政局の安定で具体化した所得倍増計画の裏側

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    政局の安定で具体化した 所得倍増計画の裏側

    2013年10月26日号  

    戦後日本において一般に最も知られている長期経済計画は、池田勇人内閣の下で策定された「国民所得倍増計画」であろう。もっとも、所得倍増計画自体は岸信介内閣時に検討が開始されており、閣議決定もされている。池田路線は岸内閣時に立案された経済政策の踏襲だった。

  • 【エネルギー革命】石油の供給増と低廉化で高度経済成長の一因に

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【エネルギー革命】 石油の供給増と低廉化で 高度経済成長の一因に

    2013年10月19日号  

    「もはや『戦後』ではない」といわれた当時の日本経済は、後に「神武景気」と呼ばれた好景気のただ中にあった(当時、前半は価格の上昇によらず販売量増加による「数量景気」、後半は「投資景気」とも呼ばれた)。しかし、国内における好景気は海外からの輸入を増加させ、国際収支の悪化をもたらす。固定相場を維持しようとすれば、政府・日本銀行は引き締め政策に転じざるを得ない。実際、「神武景気」はそのようにして終わり、1957年半ばに「鍋底不況」に突入していった。

  • 【「もはや『戦後』ではない」】国民経済生活の目線から歴史的な経済白書に苦言

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【「もはや『戦後』ではない」】 国民経済生活の目線から 歴史的な経済白書に苦言

    2013年10月12日号  

    1956年7月に発表された経済企画庁の年次経済報告(いわゆる「経済白書」、2001年の省庁再編以降は内閣府が「年次経済財政報告」として発表)は、官庁エコノミストであった後藤誉之助が執筆の指揮を執り、その名文句「もはや『戦後』ではない」のフレーズで歴史に名を刻んでいる。

  • 【創刊40年】世界42位の貧乏国・日本外交で米国援助を引き出す

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【創刊40年】 世界42位の貧乏国・日本 外交で米国援助を引き出す

    2013年10月5日号  

    「ダイヤモンド」は1953年5月、創刊40年を迎えた。「創刊四十周年記念特大号」と題された5月1日号の巻頭には、社屋の変遷写真と初代社長の石山賢吉から第2代阿部留太、第3代野崎龍七、そして現職社長(4代目)の加藤一の顔写真を掲載している。さらに「日本経済40年の歩み」と題して、日銀券の40年、生産活動の消長、産業構造の変遷などが、グラフなどを用いて示され、大正期から昭和戦前期まで右肩上がりの成長を遂げてきた日本経済が戦時の大きな落ち込みを経て、戦後、再び成長を開始している様子が一目でわかるようになっている。

  • 【朝鮮戦争勃発】ドッジ不況の下で苦しむ日本経済に好影響をもたらす

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【朝鮮戦争勃発】 ドッジ不況の下で苦しむ 日本経済に好影響をもたらす

    2013年9月28日号  

    北朝鮮の朝鮮人民軍が事実上の国境線であった北緯38度線を越えて韓国を奇襲したのは、1950年6月25日。朝鮮戦争の勃発である。その後、戦争は一進一退を繰り返し、1953年、米国におけるトルーマンからアイゼンハワーへの政権交代、ソ連のスターリン死没を機に同年7月27日に休戦が成立した。しかし、その後60年を経た今日、いまだに朝鮮半島は南北に分断されたままである。

  • 【安定恐慌】超均衡予算で健全化を狙う「ドッジ・ライン」の衝撃

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【安定恐慌】 超均衡予算で健全化を狙う 「ドッジ・ライン」の衝撃

    2013年9月21日号  

    インフレ状態から急激に金融が引き締められることで発生する恐慌のことを「安定恐慌」と呼ぶ。この安定恐慌という言葉が「ダイヤモンド」誌面に初登場したのは、1948年7月11日号「日本安定恐慌の特異性」という記事においてである。記事は、第1次世界大戦後のドイツの状況と比較しながら、日本で今後どのような安定恐慌が起こるかを論じている。

  • 【復刊後の「ダイヤモンド」】戦後の激しいインフレ定価は6年で80倍に

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【復刊後の「ダイヤモンド」】 戦後の激しいインフレ 定価は6年で80倍に

    2013年9月14日号  

    戦後の復刊第1号は定価1円であったが、創刊号と同様に無償で配布された。しかし、終戦後のインフレーションによって「ダイヤモンド」誌は値上がりを続けた。『七十五年史』は、復刊後の定価の推移をまとめているが、増ページはあったものの、1951年には80円と、実に80倍もの値上がりとなった。1946年8月1日号からは表紙が二色刷り(青または赤)となり、戦時中に見られた図解と啓蒙的な短い記事の組み合わせとなった。諸物価の上昇、生産回復の度合い、失業者数、あるいは日本経済がいかに米国からの援助に依存しているかなどが、グラフなどを用いて簡潔にわかりやすく示されている。このような表紙のスタイルは、少しずつ変化しながらも1955年ごろまで続いた。ちなみに横書きの「ダイヤモンド」のロゴを右から左に読む形から現在のように左から右に読む形となったのは1948年3月1日号からのことであった。

  • 【「ダイヤモンド」再刊】巻頭で新しい進み方を表明誌面作りに図解を導入

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【「ダイヤモンド」再刊】 巻頭で新しい進み方を表明 誌面作りに図解を導入

    2013年9月7日号  

    敗戦から2カ月半後の1945年11月1日、ダイヤモンドは5カ月の休刊を経て再刊された。「復興号」と題されたこの号は、わずか26ページ。しかし、表紙に印刷された会長・石山賢吉の「再刊の辞」には、敗戦を経験した日本がこれから「諸事新発足」をするため、雑誌も「新構想の下に新しい進み方」をしなければならないとの前向きの決意が述べられていた。

  • 【戦争中のダイヤモンドと言論統制】検閲と紙の配給統制で困難を極めた雑誌出版

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【戦争中のダイヤモンドと言論統制】 検閲と紙の配給統制で 困難を極めた雑誌出版

    2013年8月31日号  

    太平洋戦争開戦直前の「ダイヤモンド」の論調は、近衛文麿らが主唱した「新体制運動」を支持するものであり、1940年9月11日号には、「皇国は、国内の新体制建設を声明し、あらゆる制度・機構を改革して、(中略)世界新秩序の形成者たる自覚へ進まんとしてゐるのであります。かゝる際、経済界並に経済言論界も独り従来の行き方を許されるものでなく、一切を挙げて国家に奉仕し国策に協力し、以て国家目的の一日も早き実現へ進まねばなりません」とした「声明」を掲載した。

  • 【日中戦争勃発】傀儡国家・満州で行われた壮大な計画経済体制の実験

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【日中戦争勃発】 傀儡国家・満州で行われた 壮大な計画経済体制の実験

    2013年8月24日号  

    満州事変後、日本は「五族協和」を旗印に満州に新しい国家を建設したが、中国はもちろん、中国に対して既得権益を有する西洋列強を中心とした国際社会の理解を得ることはできなかった。1932年、国際連盟が満州国調査のため派遣したリットン調査団報告が出され、翌年、日本は国際連盟を脱退し、中国華北部への権益拡大を目指した。

  • 【二・二六事件】軍国主義国家の先鞭をつけたクーデター未遂事件

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【二・二六事件】 軍国主義国家の先鞭をつけた クーデター未遂事件

    2013年8月17日号  

    未明からの雪が降り積もった1936年2月26日、帝都東京で天皇親政による国家改造を目指す陸軍皇道派青年将校らによるクーデター未遂事件が起こった。「昭和維新」断行を目的とした決起であったが、29日、天皇は彼らの討伐を命じ、反乱はあっけなく鎮圧された。しかし、この事件で高橋是清蔵相や斎藤実内大臣らが命を奪われ、陸軍内部では合法的手段で国防の強化を目指す東条英機らの統制派が実権を握った。事件後成立した廣田弘毅内閣では、陸海軍大臣に現役武官を充てねばならない制度が復活。日独防共協定が締結され、単に武力だけでなくあらゆる活動を国防面から再組織する「広義国防国家」建設のための経済統制を強めるなど、軍国主義国家の先鞭をつけることとなった。

  • 【後期高橋財政】金融政策が中心だった「高橋財政」の実像

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【後期高橋財政】 金融政策が中心だった 「高橋財政」の実像

    2013年8月3日号  

    金再禁止とインフレ政策(現代でいうところのリフレ政策)の成功によって、1933~34年に日本経済は戦前で最も好調といえる時期を迎えていた。しかし、1934年に起こった「帝人事件」によって斎藤実内閣は崩壊し、高橋是清大蔵大臣もその職を辞した(帝人事件はその後、政府関係者を含む全員が無罪となり、「検察ファッショ」と批判された)。

  • 【金再禁止とインフレ政策】高橋の景気刺激策が奏功“超高速度好景気”へ

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【金再禁止とインフレ政策】 高橋の景気刺激策が奏功 “超高速度好景気”へ

    2013年7月27日号  

    若槻礼次郎立憲民政党内閣に代わって成立した犬養毅政友会内閣において、1931年12月13日、通算4度目の大蔵大臣に就任した高橋是清は、即日、金の再(輸出)禁止を断行、日本銀行券と金の交換も停止し、これにより日本の金本位制は終わった。以後、1936年の二・二六事件までの4年余りの期間は一般に高橋財政期と呼ばれている(一時、藤井真信が蔵相)。

  • 【昭和恐慌】農村経済に大打撃で金解禁と緊縮見直しへ

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【昭和恐慌】 農村経済に大打撃で 金解禁と緊縮見直しへ

    2013年7月20日号  

    濱口雄幸内閣が成立して以降、物価は1年間で24%も下落した。「ダイヤモンド」は、その原因を金解禁(為替相場の回復と公私経済の緊縮節約)と世界的不景気によるものとした。そして、この大きな変化が国民経済にとって意味するところは、「経済界が国際的趨勢に合流したこと、主要商品相場に低落の余地が少くなつたこと、貿易改善の目的が達成されさうな状況になつたこと」であると述べ、「多年変則的状態にあつた経済界が、之れによつて茲(ここ)に初めて常則的状態に復帰したのである」(1930年7月臨時増刊号「物価の劃時代的(かくじだいてき)崩落」)と肯定的に評価した。

  • 【「金解禁」問題】議論の的となった金解禁時の為替平価

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【「金解禁」問題】 議論の的となった 金解禁時の為替平価

    2013年7月13日号  

    第1次世界大戦中に金本位制から離脱していた日本であったが、1922年のジェノア国際経済会議以降、金本位制への復帰(金本位制下では金の自由な輸出入が認められるので、一般にはそのことをもって金の輸出入解禁、すなわち「金解禁」という)が本格的に議論されていった。1927年には、若槻礼次郎内閣の下で金解禁間近という動きがあったが、前号で述べた金融恐慌の発生によって金解禁はいったん頓挫した。

  • 【昭和金融恐慌】周知の事実だった東京渡辺銀行の窮状

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【昭和金融恐慌】 周知の事実だった 東京渡辺銀行の窮状

    2013年7月6日号  

    「東京渡辺銀行は3月14日午後1時30分、手形交換尻33万7千円の決済不能の為めに、遂に支払を停止した。(中略)同日田大蔵次官から、議会出席中の片岡蔵相に報告された文面である」(1927年3月21日号「財界概況」)時の若槻礼次郎憲政会内閣の蔵相・片岡直温は、田昌次官からのこの報告をそのまま議会で発言したため、実際には資金繰りにめどの立っていた東京渡辺銀行に取り付けが発生、以後、これを発火点として種々うわさのあった中堅銀行にも取り付けが波及していった。いわゆる「昭和金融恐慌」のきっかけとなった片岡失言である。

  • 【関東大震災】印刷所が被害を受けるも短期間で刊行を再開

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【関東大震災】 印刷所が被害を受けるも 短期間で刊行を再開

    2013年6月29日号  

    1923年9月1日午前11時58分、相模湾沖を震源としたマグニチュード7・9の大地震が関東全域を襲った。被災者190万人、死者行方不明者合わせて10万人を超えるといわれる日本史上最大級の災害をもたらした「大正関東地震」である。当時、ダイヤモンド社の社屋は日本橋蛎殻町にあったが、幸いにも被災を免れ、9月21日号から刊行が再開された。同号の「編集余録」には、「シンサイ地に於ける定期刊行物として、復興の早き蓋し本誌が第一ならんと存候」と述べられている。ただし、印刷所の被害によって活字組版が十分復活しておらず、本来漢字になるべき部分の多くがカタカナやひらがなのまま組まれており、また校正も十分でないことがわかる。

  • 【武藤山治「温情主義」の本質】階級構成者の変化が生む社会のダイナミズム

    週刊ダイヤ 日本経済100年
    【武藤山治「温情主義」の本質】 階級構成者の変化が生む 社会のダイナミズム

    2013年6月22日号  

    第1次世界大戦後、世界的に大きな問題の一つとして浮上してきたものに労働問題があった。日本も、1919年に設立された国際労働機関(ILO)に政府代表、資本家代表、労働者代表を送り、討議に参加した。資本家代表として参加した鐘淵紡績社長の武藤山治は、この時期からしばしば「ダイヤモンド」に論文を寄稿したり、インタビューに答えたりする回数が増えている。武藤山治といえば、「温情主義」「経営家族主義」を唱えた経営者として有名であるが、主張された内容はそう単純なものではなかった。

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記者の目

  • 編集部 重石岳史

    東証改革に見る「ルーズとタイト」の文化の違い

     東京証券取引所の幹部との雑談で「ルーズカルチャー」と「タイトカルチャー」が話題になりました。いわく日本はタイトカルチャーの国で、規律を重んじる。だから強制力を伴わずとも、東証が資本コストや株価を意識した経営を「要請」すれば上場企業がおのずと動いてくれる。確かに東証の市場改革は、大枠では狙い通りに進んでいるようです。
     一方、米国などはルーズカルチャーの国で、個人の自由を重んじるため強制力がなければ物事が動かない。タイトな文化の方が、日本人に向いている気はしますが、横並び主義や同調圧力が弊害を生むケースもあります。ルーズでありながらタイトさも併せ持つ。自分自身はそうありたいと思います。

  • 編集長 浅島亮子

    『週刊ダイヤモンド2025年2月22日号』発売中止のお詫び

     前号のフジテレビ特集におきまして、アンケート結果を記載した一覧表で誤記が判明いたしました。そのため市販を中止しましたが、定期購読分については発送停止の措置が間に合わなかったため、定期購読者の皆様には修正した記事をお送りいたします。読者の皆様ならびに関係者の皆様には、多大なご迷惑をお掛けいたしましたことを深くお詫び申し上げます。
     創刊111年の歴史に泥を塗る事態を招いてしまったことを、責任者として猛省しております。今後このようなことがないよう、チェック体制の強化など再発防止を徹底する所存です。今後とも弊誌を末長くご愛顧いただけましたら幸いに存じます。
    『ダイヤモンド編集部』編集長 浅島亮子

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表紙

特集上場廃止ラッシュ

東京証券取引所の経過措置期間が2025年3月に終了し、新たな上場維持基準が適用される。さらに政策保有株式や親子上場の解消も進み、安定株主を失った企業は同意なき買収を容赦なく突き付けられる。あらゆる上場企業が安穏としていられない、淘汰の時代が…

特集2狙え! 不動産リッチ企業

不動産含み益をたっぷり抱える"不動産リッチ企業"への注目度が高まっている。アクティビストらの売却圧力も強まる一方だ。そこで、不動産の含み益が大きい企業の投資妙味を徹底分析。含み益を反映した修正PBRや時価総額に対する含み益の比率から、割安な…