「ニギリファンドを取ってこない部長はクビだ。代わりはいくらでもいる。何事も上を巻き込めば会社ぐるみになる。何の問題もない」
本誌が当局関係者から入手した資料には、山一証券の不正行為が会社ぐるみであったことが克明に記されていた。1980年代後半の話である。この物騒な発言の主は、当時の事業法人本部長だった高木眞行だ。
「ニギリ」というのは、山一が大口顧客に一任運用のファンドや株を売る際に、あらかじめ一定の利回りを保証する契約のことで、明らかな違法行為だ。それを経営幹部が何のためらいもなく、部下をどう喝して命令していたのである。
株価が右肩上がりのうちは顧客も山一もこのやり方でもうけることができた。しかしバブルがはじけて株価が下落し始めると、ニギリファンドは多額の含み損を抱えた〝爆弾〟と化す。
そこで新たに編み出された違法行為が「飛ばし」だった。簡単に言えば、ファンドの含み損が決算で表面化しないように、決算前によそへ一時的にファンドを移して、決算後に元に戻す行為だ。そうすれば決算で評価損を計上しないで済む。
「飛ばしは、事業法人部では公然の秘密だった。少なくとも300人くらいの人が知っていたのではないか」。93年に海外留学から帰国して事業法人第一部に着任した稲田洋一(58歳、現レコフ社長)は、そう打ち明ける。
実は、このような山一の違法行為を、当局は知っていた可能性がある。
前出の資料によると、91年に当時副社長だった三木淳夫は、大蔵省で証券局長の松野允彦に面会している。三木の記憶によれば、そのとき松野はこう言ったという。
「東急百貨店からの飛ばしの依頼をどうするのですか」。三木が、担当ではないのでよく分からないと答えると「大和(証券)は海外に飛ばすみたいですよ」との答えが返ってきた。
証券会社の飛ばしを当局が黙認しているように聞こえる。少なくとも三木はそう理解し、その後も飛ばしを続け、山一の簿外債務は雪だるま式に増えていったのである。
当局の黙認の下、ニギリ・飛ばしという違法行為を会社ぐるみで行っていた山一は、97年11月24日、2600億円を超える簿外債務を抱えて自主廃業した。
森永卓郎氏の予言通り到来 年収300万円時代
山一・拓銀破綻からの「失われた20年」で、日本は何を失ったのか。経済アナリストで獨協大学経済学部教授の森永卓郎氏が語る。
私が2003年に『年収300万円時代を生き抜く経済学』を出版しベストセラーとなった際、周囲からは「そんな世界はあり得ない」など批判の声も少なくありませんでした。
ですが、直近の国税庁の民間給与実態統計調査を見ても分かるように、日本の所得階層で一番多いのは、年収「300万円超400万円以下」なのです。ほぼ並ぶ形で多いのが「200万円超300万円以下」。年収の中心はまさに300万円になっているわけです。
一方で日本企業の動きを見ると、内部留保が大量にため込まれている。資産価値が高まるので、株価が上がるのは当然です。何が問題かというと、第2次安倍政権の約5年間で実質賃金は3%下がっているのです。
これは、働く人の給料を抑えて利益を膨らませているにすぎない。というのも、役員報酬は今や利益連動報酬とストックオプション(株式購入権)が中心。利益を増やし、株価を上げることが大事なので、従業員の給料を引き上げようとは考えないのです。このままいけば、「超格差社会」にならざるを得ないでしょう。
足元は株高基調ですが、私は東京五輪までに不動産バブルがはじけるとみています。都心部は明らかにバブル状態です。不動産投資家が痛手を被ると、彼らは手持ちの株を売り、損失の穴埋めに走ります。すると、株価にも売り圧力がかかります。
私は過去に投資で人生最大の失敗をしました。バブル当時はそのおかげで莫大な給料をもらっていたのですが、日経平均株価が3万6000円のときに指数連動型の投資信託につぎ込んでしまった。その後ドカンと値崩れし、損切りしたときは9000円。他の人も、似たような苦い体験が幾つもあるはずです。
山一・拓銀の元社員が告白 破綻から20年目の「真実」
『週刊ダイヤモンド』11月25日号の第1特集は「山一・拓銀破綻から20年 バブルで日本は何を失ったか」です。
1997年11月の山一・拓銀の破綻から、今年でちょうど20年になります。当時、大手金融機関はつぶれないと誰もが信じていただけに、大きな衝撃が走りました。この事件は、金融システム危機の始まりというだけでなく、日本社会の変容の始まりでもありました。
2000年代初頭、不良債権処理による貸し渋り・貸しはがしで多くの企業が倒産、それを免れた企業も、生き残るためにリストラを推し進めました。
そうした中で非正規雇用が急増し、正社員の賃金も減少しました。日本はデフレ社会に突入し、格差の拡大で「一億総中流社会」は崩壊しました。「失われた20年」といわれる所以です。
本特集では、バブル崩壊後のこうした日本の変容を浮き彫りにし、失われた20年とは何だったのかを検証しました。
不良債権処理を指揮した竹中平蔵氏、メガバンクで貸しはがしの実態を目の当たりにしていた江上剛氏、三洋電機再建を託されながら果たせなかった野中ともよ氏、90年代後半、規制緩和と米国流ガバナンスの必要性を訴えたものの、後にそれは間違いだったと告白した中谷巌氏など、バブル当時をよく知る人々が失われた20年から学ぶべき教訓を語ってくれました。
もう一つ、本特集では、日本が変容する起点となった山一・拓銀の破綻そのものについても、元社員の方々の証言や非公開資料などを基に検証しました。
20年前、山一や拓銀で何が起きていたのか。20年たった今だからこそ語ってくれた元社員の方々の生々しい証言を基に明らかにしています。ぜひご覧ください。
バブル崩壊から20年が経過した2017年、再びバブルの足音が聞こえてきました。
バブルのさなかにいるとき、人はそれに気付かない。そしてしばらくして気付いたときには、後の祭りです。
「失われた20年」を過ごしてきたわれわれは、必ずそこから教訓を得ることができるはずです。