7月14日、大阪市此花区にあるテーマパーク、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は祭りの酔いに浸った。翌日オープンする新エリア「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」のプレオープンイベントでUSJのグレン・ガンペル社長がステージに立ち、笑顔を振りまいていた。それを舞台袖で見守る男が居た。
男の名は森岡毅。USJの執行役員・マーケティング本部長だ。2010年に入社する前は日用品世界大手プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)でシャンプーのマーケッターだった。
森岡氏は入社直後、米フロリダ州のユニバーサル・スタジオ・オーランドでオープン前のハリー・ポッターを体験。すぐに役員会で日本への導入を提案した。
ユニバーサル・スタジオはハリウッド映画のテーマパークであり、USJはその日本版。ハリー・ポッターは人気映画の世界を再現したもので、石造りの「ホグワーツ城」で魔法を使う主人公たちと冒険に出るアトラクションが最大の目玉だ。導入すればオーランドに続いて世界で2カ所目になる。
導入を訴える森岡氏にガンペル氏は「幾ら掛かるのか知っているのか」と返した。「400億円ぐらい」と答えると「おまえはばかか」と一蹴された。
確かにUSJにそんな大金を用意する余裕はなかった。01年のオープン時こそ入場者数1100万人を超え、「東のディズニー、西のUSJ」と持ち上げられたが、規定量を超えた火薬を使っていたことが明るみに出るなど不祥事が重なり、翌年の入場者は700万人台に転落、その後も800万人台で低迷した。
「USJは死に体。やっぱりディズニー1強」とまでやゆされるようになった。
USJは大阪市が湾岸再開発のために誘致し、市や米ユニバーサル、民間企業44社が出資する第三セクターだった。ガンペル氏以前の社長は大阪市の助役。市や株主企業の天下り社員らを寄せ集めた組織にテーマパーク経営のプロは居なかった。
転機となったのは、経営陣の刷新だった。04年、〝最後の切り札〟として米ユニバーサル・リゾーツ社長だったガンペル氏が社長に就任した。
05年には産業再生法の適用を申請。06年に米投資会社ゴールドマン・サックスと組んで、出向者が多く責任があいまいだった第三セクターを事実上、民営化した。
森岡氏は、再建に奔走するガンペル氏から「自らリスクを取るマーケティングのプロが欲しい」と請われて入社した。
ただ、ハリー・ポッター導入にかかる費用は、年間売上高の半分に当たり、さすがのガンペル氏も慎重になった。実は、USJが開業後に米国から輸入した大型アトラクションは、04年の「アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン」だけだ。
それでも森岡氏はハリー・ポッターの導入を諦めなかった。USJは、市場としての関西が地盤沈下する中、関東あるいは海外から客を呼び込まなくてはいけないのに、その武器となるコンテンツを持っていなかった。オーランドでは、ハリー・ポッターがその年の入場者数を3割増加させるほどの人気アトラクションになっていた。
森岡氏は、3年がかりでキャッシュフローを増やし、最小限の借り入れで450億円を捻出するというプランを作り、説得にかかった。年間20億円程度の投資で集客を回復させ、そのカネでハリー・ポッターを造ろうというものだ。
最終的にゴーサインは出た。それは、USJの存続を懸けることを意味していた。
米ウォルト・ディズニーも狙っていたとされるハリー・ポッターの導入を正式に契約し、プランは実行に移された。毎年コンスタントに内部留保を増やしていかなければ、投資に対する借り入れが増える。借り入れ負担から破綻したテーマパークは枚挙にいとまがなく、USJ自身の過去がまさにそうだった。
11年、東日本大震災が発生した。計画は頓挫したかに見えたが、覚悟を決めたガンペル氏は「バットを振れ」と、森岡氏たちを後押しした。
乗り物寄せ集め
家族エリア開発
その稼ぎでハリポタ
カネを使わずにいかに集客するか。アトラクション導入の年間予算は20億円程度。東京ディズニーリゾート(TDR)にとってすればその金額は、夜のパレードに対する予算にすぎない。