記事一覧:週刊ダイヤ 日本の経営100年50件
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【ドル買いと三井銀行の苦境】 ぬれ手で粟のぼろ儲けと 財閥批判の大きなうねり
2014年7月26日号1929年に始まる世界大恐慌と連動した昭和恐慌で、日本経済は大きな打撃を受けた。それでも1932年には、国内景気は回復に向かった。主要な資本主義国の中では最も早く世界大恐慌から脱却したといえる。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【昭和恐慌と金解禁】 金本位制復帰を急ぐも 日本経済の弱さが露呈
2014年7月19日号後に「暗黒の木曜日」と呼ばれるようになった1929年10月24日、ニューヨーク株式市場は歴史的な暴落を記録した。1920年代に再建された金本位制を担う中心国であった米国の経済的混乱は、やがて世界的な大恐慌を引き起こすに至った。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【四大財閥の制覇】 長期不況で存在感高めた 三井、三菱、住友、安田
2014年7月12日号明治時代の日本では、三井、三菱、住友、安田の四大財閥が、経済界で大きな影響力を持つようになった。各財閥は中心的な企業として銀行を擁し、三井銀行、三菱銀行、住友銀行、安田銀行に、渋沢栄一系の第一銀行を加えた5行が「五大銀行」と呼ばれた。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【鈴木商店破綻と川崎造船所整理】 金融恐慌の余波で 資金調達が困難に
2014年7月5日号1927年の金融恐慌で経営危機に陥った台湾銀行は、日本政府による一連の救済措置で事業を継続することができた。しかし、救済の過程で密接な関係にあった鈴木商店への資金供給を続けることが不可能になった。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【金融恐慌と台湾銀行の救済】 震災手形が不良債権化 9カ月間で44行が倒産
2014年6月28日号1920年の反動恐慌に続いて、1923年には関東大震災に伴う「震災恐慌」が発生した。その際、日本銀行は、震災被害者である債務者を救済するため、震災手形を乱発した。震災手形の多くは不良債権化し、大きな社会問題となった。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【小林一三と松永安左エ門】 経済成長率を押し上げた 都市化と電化の進展
2014年6月21日号1920年の反動恐慌をきっかけに、日本経済は「慢性不況」の時代を迎えることになった。ただし、慢性不況下にあった1920年代の日本の経済成長率は、国際的に見れば、必ずしも低くはなかった。1910年代から20年代にかけての日本の平均経済成長率は、総額でも、1人当たり額でも、当時、世界の経済発展をリードしていた米国を、わずかながらではあるが凌駕していた。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【反動恐慌と綿糸総解合】 株価暴落から恐慌へ 長期不況の時代が到来
2014年6月14日号第1次世界大戦がもたらした「大戦ブーム」および「戦後ブーム」は、終戦から2年目の1920年に生じた「反動恐慌」で一挙に終息した。ダイヤモンド社の創業者で主筆の石山賢吉は、「ダイヤモンド」1920年6月21日号に寄せた「財界はどうなるか」の中で、「下げて保合ふ。其保合ふのを見て下げ止りかと思ふと又た下げる。下げてく下げ抜いて、それから又た下げたのだから、何ぼ何んでも今度こそは本当に底を入れたのだらうと考へると又た下げる。株式を始め諸物価は目下底知らずの状態である」と書いている。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【鈴木商店の躍進】 日本一の商社をつくった 名番頭・金子直吉
2014年6月7日号本経済に空前の「大戦ブーム」をもたらした第1次世界大戦は、1918年11月に終結した。もっとも、欧州の復興需要や米国経済の活況が続いたことなどもあり、輸出は高水準を維持して、日本経済の好景気は翌年も継続した。いわゆる「戦後ブーム」である。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【第1次大戦ブーム】 長期にわたる不況を脱出 成金が東京・大阪を闊歩
2014年5月31日号「『船成金たちは宴会の引出物に生きた大ダイをガラス箱に入れて出した……』などと、まことしやかなデマが飛び出すありさまだ。生きた大ダイはデマだが宴会に趣好をこらしたことは事実だ。なにしろ、ぜいたくざんまいにあきていただけに、豪華な宴会より趣好をこらし、席上、客をしてアッといわせることに興味をもった」
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【「ダイヤモンド」創刊号】 第1次大戦前夜における 資本主義社会の胎動
2014年5月24日号このコーナーでは、これから約1年間にわたって、経済誌「ダイヤモンド」の記事を読みながら、今日に至る日本の企業経営、産業の100年間の歩みを振り返ってゆく。