記事一覧:週刊ダイヤ 日本の経営100年50件
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【「くたばれGNP」】 高度成長のひずみが噴出 4大公害裁判で住民勝訴
2014年12月20日号1970年代に入ると、さしもの日本経済の高度成長にも陰りが見え始めた。1971~72年には、実質経済成長率が10%を下回った。1970年代初頭に生じた経営環境の変化の中で、大きな影響を及ぼしたのは、「高度成長のひずみ」が顕在化し、経済成長を善とする国民的コンセンサスに亀裂が生じたことである。終戦から約20年間にわたって、日本人は戦勝国である欧米諸国に「追い付き追い越せ」を合言葉にして、一丸となって経済成長を追求した。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【史上空前のいざなぎ景気】 3Cの時代の申し子 ソニーとホンダ
2014年12月13日号1965(昭和40)年不況後の高度経済成長の後半期には、1965年11月から1970年7月にかけて、「いざなぎ景気」と呼ばれる57カ月に及ぶ、史上空前の長期好況が現出した。1960年代半ばに貿易自由化や資本自由化に対する「危機ばね」が作用し、大型化投資や品質管理運動などの企業努力によって日本の主要産業は国際競争力を強めた。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【昭和40年不況】 山一證券の救済と 山陽特殊製鋼の経営破綻
2014年12月6日号東京オリンピックの翌年、日本経済は、「戦後最大の不況」を経験することになった。「1965(昭和40)年不況」である。前年10月の東京オリンピックの終了とともに始まった1965年不況は、金融引き締めをきっかけとして、1965年10月まで約1年間にわたって継続した。この不況は「証券不況」とも呼ばれ、山一證券が経営危機に直面したが、日本銀行からの特別融資で救済された。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【開放経済への移行】 「第二の黒船」と見なされた 貿易・資本の自由化
2014年11月29日号1965(昭和40)年不況以前の高度経済成長の前半期には、神武景気(1955~57年)や岩戸景気(1958~61年)、オリンピック景気(1962~64年)の間に、鍋底不況(1957~58年)や1962年不況が発生して、3~4年ごとに景気の落込みが見られた。これは、景気の過熱が輸入の増大をもたらし、それによって生じた国際収支の逼迫に対処して、3~4年ごとに金融引締めが行われたからである。この現象を指して「国際収支の天井」という言葉が盛んに使われた。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【東京五輪と大阪万博】 イベント自体は成功も 明暗分けた二都の経済
2014年11月22日号中国の首都・北京は、今から6年前の2008年、オリンピック(五輪)開催で世界の注目を集めた。それから2年後の2010年には、中国の経済の中心である上海で万国博覧会が開かれ、多数の観客を集めて大いににぎわった。この慌ただしさは、それより40年以上前に日本も経験している。1964年に東京五輪が、1970年に大阪万博が、相次いで開催されたのだ。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【三井・三池争議と60年安保】 日本が揺れた二つの闘争 社会は対立から協調へ
2014年11月15日号1960年は、二つの「闘争」によって、日本社会が大きく揺れた年であった。「三池闘争」と「60年安保闘争」である。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【ナンバーワン産業】 「世界と戦う」を目的に 三菱重工業が再生
2014年11月8日号エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が刊行されたのは、石油危機への日本の優れた対応が国際的に注目されていた1979年のことである。 しかし、個々の産業について見れば、それ以前から「世界ナンバーワン」を実現したものが幾つか存在した。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【臨海コンビナートの形成】 「投資が投資を呼ぶ」で 変化した日本の産業構造
2014年11月1日号わが国の高度経済成長期における民間設備投資の年平均伸び率は、個人消費支出のそれの2倍以上に達した。「投資が投資を呼ぶ」といわれた民間設備投資は、重化学工業部門を中心に展開された。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【高度成長】 「三種の神器」の普及と 経営の神様・松下幸之助
2014年10月25日号1951~53年に、生産と消費の両面で第2次世界大戦以前の水準を回復した日本経済は、1950年代半ばから1970年代初頭にかけて、世界史上でも稀有な高度成長を遂げた。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【三菱商事と三井物産の解体と復活】 財閥復活が注目されるも 実態は新たな企業集団に
2014年10月18日号終戦後のGHQ(連合国最高司令官総司令部)の財閥解体政策の一環として、1947年7月、三井物産と三菱商事は解体を余儀なくされた。GHQは徹底的な解体を命令し、両社はそれぞれ200社前後の小商社に分割された。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【出光佐三と西山彌太郎】 奇跡を成し遂げた 高度経済成長の先駆け
2014年10月11日号1945(昭和20)年8月15日の太平洋戦争敗北からの10年間、つまり昭和20年代は、日本経済にとって、決して「失われた10年」とはならなかった。それどころか、次の時代に実現する高度成長へ向けて、日本経済が助走路を駆け抜ける「再生の10年」となった。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【朝鮮特需とトヨタ自動車の復活】 連合国の占領が終了 生産・消費が戦前超え
2014年10月4日号ドッジラインがもたらした不況から結果的に日本経済を救う形になったのは、1950年6月に勃発した朝鮮戦争がもたらした特需ブームだった。日本の工業生産、実質国民総生産(GNP)、実質個人消費支出は1951年に、実質1人当たりGNP、実質1人当たり個人消費支出は1953年に、それぞれ戦前の最高水準を突破した。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【ドッジライン】 東西冷戦の深刻化で 経済復興に方針転換
2014年9月27日号終戦当初、米国の対日占領政策の重点は、「非軍事化」に置かれていた。だが、東西両陣営間の冷戦の深刻化に伴い、1947年ごろから「経済復興」に転換した。日本の経済復興を早期に実現するためには、敗戦後激しい勢いで進行したインフレーションを収束させる必要があった。この課題を一挙に達成したのは、1949年2月に米国の公使として来日したジョセフ・ドッジであった。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【財閥解体と公職追放】 企業間競争が活性化し 経営者の若返りを促進
2014年9月20日号1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れ、米国をはじめとする連合国に無条件降伏した。この太平洋戦争の敗北を機にわが国は、連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の占領下に置かれることになった。GHQは、日本が戦争へと突き進んだ経済的基盤は、寄生地主制と財閥にあると考えた。そこで、占領当初から、地主制を解体する農地改革と財閥解体に、力を入れて取り組んだ。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【戦時下の企業統治の変容】 日本型の経営を生んだ 「軍需会社法」の施行
2014年9月13日号1941年12月に始まった太平洋戦争は、日本が総動員体制で臨むことになった初めての戦争であった。銃後の国内工場で最大限の生産力を発揮させるため、戦時経済統制が徐々に強化された。一連の統制は、企業の統治の在り方(コーポレートガバナンス)にも大きな影響を及ぼすことになった。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【戦時経済体制へ】 戦争への布石となった 石油業法と電力国家管理
2014年9月6日号1931年の満州事変を契機に日本経済は、準戦時体制へ移行した。そして、1937年の日華事変により日中戦争が全面戦争に突入した後は、本格的な戦時経済体制の色彩が濃くなっていった。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【新興コンツェルンの躍動】 事業規模で抜きんでた 日産と日窒
2014年8月30日号1930年代になると、「新興コンツェルン」と呼ばれる企業集団の活躍が目立つようになった。コンツェルンとは、持株会社による複数の傘下企業の株式所有を通じて、同一資本で異なる産業部門の支配を目指す独占組織の一形態である。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【製鉄合同による日本製鐵の発足】 狙いは戦時体制構築 満鉄、東電に次ぐ企業に
2014年8月23日号王子製紙、富士製紙、樺太工業の3製紙会社が合併して新王子製紙が誕生した翌年の1934年1月、さらなる大型合併が世間の耳目を集めた。官営製鉄所と輪西製鉄、釜石鉱山、三菱製鉄兼二浦製鉄所、九州製鋼、富士製鋼の民間5社との「製鉄合同」が実現し、日本製鐵が発足したのである。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【3社による新王子製紙の誕生】 経営史に残る衝撃の合併 “大企業の時代”が到来
2014年8月9日号1933年5月、王子製紙、富士製紙、樺太工業の三大製紙会社は合併して、新たな王子製紙が発足した。この合併は、製紙産業史だけでなく日本の経営史全体にも大きな衝撃を与える出来事であった。
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週刊ダイヤ 日本の経営100年
【大衆消費社会への離陸】 実は内需主導型だった 日本経済の成長パターン
2014年8月2日号このシリーズの第5回でも述べたように、日本経済は第1次世界大戦ごろから長期にわたる成長軌道に乗るようになった。昭和恐慌や第2次世界大戦の敗北による一時的な落ち込みはあったものの、1910年代から1980年代にかけて、わが国は経済成長率の点で主要な資本主義国の中でトップランナーであり続けた。