記事一覧:新日本酒紀行166

  • 姿(SUGATA)/栃木県栃木市西方町

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    姿(SUGATA)/栃木県栃木市西方町

    2019年8月31日号  

    江戸時代、西方五千石と呼ばれた米どころ栃木の西方町で唯一の酒蔵が飯沼銘醸だ。9代目の飯沼徹典さんが杜氏を務め、町内産の酒米を主に、米の品種を変えて同じ精米歩合で少量ずつ醸す酒、それが「姿」だ。

  • 武勇(BUYU)/茨城県結城市結城

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    武勇(BUYU)/茨城県結城市結城

    2019年8月24日号  

    筑波山を望む北関東の要衝、結城の町は2000年前の崇神天皇の時代から続く結城紬で知られる。真綿を手で紡いだ糸を手織りする絹織物の原型で、重要無形文化財とユネスコ無形文化遺産の指定を受ける。その結城で、米のうま味を味わう酒を得意とする酒蔵が武勇だ。

  • 新政 No.6(ARAMASA NUMBER6)/秋田県秋田市

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    新政 No.6(ARAMASA NUMBER6)/秋田県秋田市

    2019年8月10日号  

    最高の酒とは何か? 賞を取った酒か価格か? 持続可能な開発目標SDGsが提唱され、商品には味以外の価値も求められるようになった。秋田市の酒蔵、新政酒造の8代目、佐藤祐輔さんが蔵に戻った2007年、製造量はピーク時の2万5000石から6000石へ落ち、倒産寸前。

  • 山和(YAMAWA)/宮城県加美郡加美町

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    山和(YAMAWA)/宮城県加美郡加美町

    2019年8月3日号  

    近年、経済酒といわれる安価な酒の醸造量の下落が止まらない。宮城県北部、加美町の酒蔵、山和酒造店はかつて4000石を醸造した大きな蔵だったが、15年前、500石までに下がった。そのどん底のときに、7代目の伊藤大祐さんは24歳で蔵に帰った。

  • 墨廼江(SUMINOE)/宮城県石巻市

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    墨廼江(SUMINOE)/宮城県石巻市

    2019年7月27日号  

    一口飲んでなんてきれいで切れのある酒だと驚いた。墨廼江酒造は漁港の石巻にある酒蔵で、1845年に、海産物と穀物問屋を営んでいた澤口家の2代目が酒造りを開始。水を司(つかさど)る神様を祭った墨廼江神社が銘柄の由来だ。

  • 若竹(WAKATAKE)/静岡県島田市

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    若竹(WAKATAKE)/静岡県島田市

    2019年7月20日号  

    「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と歌われた大河。その川岸に位置する島田宿は、昔、大雨で川止めになると旅人で溢れにぎわった。最盛期に7軒あった酒蔵は、昭和の終わりに1軒を残すのみに。それが1832年に創業した大村屋酒造場だ。

  • セトイチ(SETOICHI)/神奈川県足柄上郡開成町

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    セトイチ(SETOICHI)/神奈川県足柄上郡開成町

    2019年7月13日号  

    酒を造るには酒類製造免許が必要だが、ビールやワインの免許に比べ、日本酒は新規参入が困難だ。約50年もの間、新規の免許は下りておらず、蔵元になるには蔵元と縁を結ぶか、免許を譲り受けるしかない。

  • 花の舞(HANANOMAI)/静岡県浜松市

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    花の舞(HANANOMAI)/静岡県浜松市

    2019年7月6日号  

    地元の米と水で醸す地酒を造る酒蔵が増えつつあるが、20年前から地元の農家と共に酒米作りに取り組み、全量を静岡県産米で醸しているのが花の舞酒造だ。

  • 天穏(TENON)/島根県出雲市

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    天穏(TENON)/島根県出雲市

    2019年6月29日号  

    日本酒の歴史が神話まで遡る島根県出雲地方。八岐大蛇(やまたのおろち)の伝説で八塩折(やしおり)の酒を大蛇に飲ませて退治したと記紀に残る。その出雲で「天穏」を醸す板倉酒造。酒銘は日蓮宗の仏典にある「無窮天穏」から命名され、飲んで穏やかになる酒という。

  • 神雷(SHINRAI)/広島県神石郡神石高原町

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    神雷(SHINRAI)/広島県神石郡神石高原町

    2019年6月22日号  

    温暖なイメージの広島だが、年間平均気温が約11℃と東北並みで、リンゴが栽培される寒冷地域が神石高原町だ。この地で1716年に創業した三輪酒造は、冷涼な気候と軟水を生かした低温長期発酵を得意とし、風味豊かな清涼感のある酒を醸す。

  • 鷹来屋(TAKAKIYA)/大分県豊後大野市緒方町

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    鷹来屋(TAKAKIYA)/大分県豊後大野市緒方町

    2019年6月15日号  

    磨崖仏が全国の7割を占める大分県。中でも阿蘇山東麓の豊後大野市には日本最大の磨崖仏がある。

  • 奥播磨(OKUHARIMA)/兵庫県姫路市

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    奥播磨(OKUHARIMA)/兵庫県姫路市

    2019年6月8日号  

    兵庫県西部の播磨地方にあり、初詣に人気がある安志加茂神社は、稲藁(わら)で編まれた巨大なえとで有名。地元の酒米、兵庫夢錦1反分の稲藁でなう見事なものだ。その神社の参道沿いに立つ酒蔵が下村酒造店。

  • 貴(TAKA)/山口県宇部市

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    貴(TAKA)/山口県宇部市

    2019年6月1日号  

    日本屈指の鍾乳洞の秋芳洞とカルスト台地の秋吉台。雨が石灰岩を潜り、ミネラルを含んだ中硬水を生み出す。その水で酒造りをするのが永山本家酒造場だ。1888年に創業し、旧山陽道に面して立つ。石造りの建屋は、蔵元2代目が町長を務めた時の役場庁舎を土地ごと買い取った。

  • ちえびじん(CHIEBIJIN)/大分県杵築市

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    ちえびじん(CHIEBIJIN)/大分県杵築市

    2019年5月25日号  

    麦焼酎の製造量が全国1位の大分県は日本酒から焼酎に変更した蔵が多い。中野酒造6代目の中野淳之さんが蔵に帰った10年前は、焼酎ブームが去って価格競争が激化していた。「このままでは蔵がつぶれる」と高品質の日本酒へシフトする。

  • 賀茂泉(KAMOIZUMI)/広島県東広島市西条

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    賀茂泉(KAMOIZUMI)/広島県東広島市西条

    2019年5月18日号  

    戦時中、米不足の折、酒販店が酒に水を加えて金魚が泳ぐような薄い酒を販売し、金魚酒と呼ばれた。その後、アルコール度数に基づく級別と課税を制定した日本酒級別制度ができたが、品質との相違もあった。さらにアルコールを増量した三倍増醸清酒が許可され、小さな蔵と大手蔵で格差が広がり、酒の個性も薄れていく。

  • 秀よし(HIDEYOSHI)/秋田県大仙市

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    秀よし(HIDEYOSHI)/秋田県大仙市

    2019年5月11日号  

    1750年頃、秋田藩主の佐竹侯が藩内の酒を集め、品評会を行った。その会で優勝したのが鈴木酒造店。酒質に優れたことから、佐竹侯が当時の銘柄「清正」を、加藤清正の主「豊臣秀吉」と「秀でて良し」を掛けて「秀よし」と命名。

  • 福田(FUKUDA)/長崎県平戸市志々伎町

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    福田(FUKUDA)/長崎県平戸市志々伎町

    2019年4月27日号  

    平戸島は古代日本の最西端で、世界への窓口だった。古墳時代から志々伎(しじき)湾に大陸からの船が着き、戦国時代はポルトガル人が欧州の産品とキリスト教を伝来。島西端の志々伎神社は日本武尊(やまとたけるのみこと)の御子、十城別王(とおきわけのみこ)を祭り、そのお神酒を造る酒屋だったのが福田酒造だ。代々松浦藩主御用達で、社長の福田詮さんは14代目になる。

  • 磐城壽(IWAKIKOTOBUKI)/山形県長井市

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    磐城壽(IWAKIKOTOBUKI)/山形県長井市

    2019年4月20日号  

    福島県浪江町で海の男たちから愛された「磐城壽」醸造元の鈴木酒造店は、東日本大震災で全建屋が流失した。福島第一原子力発電所と蔵は直線距離で7kmと近く、避難指示が発令。酒蔵再開のめどは立たず、2011年秋、縁があり山形県長井市で酒造りを再開する。福島県の試験場に預けていた酵母が無事で蔵から唯一持参できた。

  • 鯉川(KOIKAWA)/山形県東田川郡庄内町余目

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    鯉川(KOIKAWA)/山形県東田川郡庄内町余目

    2019年4月13日号  

    1893年9月、山形県余目町(現庄内町)の農家、阿部亀治さんが、冷害で倒伏した田んぼで3本だけ実った稲穂を発見した。亀治さんはこの籾(もみ)から、4年後に新品種の亀の尾を世に出した。

  • 水尾(MIZUO)/長野県飯山市

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    水尾(MIZUO)/長野県飯山市

    2019年4月6日号  

    島崎藤村が信州の小京都と呼んだ飯山の里。千曲川から信濃川と名が変わる長野と新潟の県境に近い豪雪地帯にある。豊富な雪解け水と日照に恵まれ、昼夜の寒暖差もあり、上質な米と水がそろう酒造りに好適の地だ。

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記者の目

  • 編集部 野村聖子

    数字に弱いのは「文系」出身だからじゃなかった

     昔から数字には弱かったのですが、40歳を超えて老眼が入ってきたせいか、最近ますます数字アレルギーが強くなってきました。
     弊誌は経済メディアですから、数字と向き合う仕事から逃れることはできません。
     今特集でもランキングの基となる、膨大な数字が並んだ生データを一目見るなり頭がクラクラして、ついついデータ整理を後回しにしてしまいました。
    「これは私がゴリゴリの文系出身だからに違いない」と思っていたのですが、同じ文系出身であるはずの編集部の諸先輩方からそんな様子はみじんも感じられません。
     数字に強い、弱いというのはどうも文理関係なく、私自身の資質の問題だったようで意気消沈しています。

  • 副編集長 千本木啓文

    戦時中の〝理系人材〟育成が生んだ、思わぬ「副産物」とは

     意外な理系人材に、財務大臣を務めた藤井裕久氏がいます。東大法学部卒の元大蔵官僚ですが、終戦までの数カ月、「特別科学学級」で学んでいました。同学級の目的は、秀才を集め、原子爆弾を開発する科学者を育成することでした。勤労動員は免除され、上級学校への進学も保証されていたそうです。
     同学級は科学者だけでなく、元ニコン会長の吉田庄一郎氏や元シチズン時計社長の春田博氏ら産業界の大物を多数輩出しました。
     藤井氏は自伝に「敗戦国の悪あがきのような人材育成が、本来の目的を果たすことなく、むしろ戦後の日本の復興と成長に貢献したことは不幸中の幸いだ」と記しています。あまり語られることのない教育史の一ページです。

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表紙

特集 新・理系エリート

少子化が進む中、国は2010年代半ばから大学側に人文科学系などの文系リストラを促すようになった。その一方で、AI・データサイエンスの急速な技術進化が社会やビジネスに大きな影響を与え、また世界的に脱炭素化へ向けた再生可能エネルギーの活用が進む…

特集2シン・稲盛和夫論

京セラ創業者の稲盛和夫氏が昨年8月24日に90歳で逝去し、1年余りがたった。「経営の神様」などと評され、その経営哲学に共感する声は今なお多い。だが、実は稲盛氏を巡っては、いまだ知られざる逸話や意外な人脈なども存在する。それらを再発掘し、改め…