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●アメリカに距離を置く南米と中東

このところ南米の動きが面白い。ボリビアでは昨年12月の大統領選挙で左派のエボ・モラレスが勝利したけど、初の先住民出身の大統領なんだね。アメリカの「ドラッグとの戦争」に反対して、伝統的なコカ栽培を奨励するとか、ちょっと面白い。
チリでも今年1月の大統領選挙で、中道左派連合のミチェル・バチェレが勝利を収めた。こちらは女性初の大統領になる。南米だけだよね、左翼が元気なのは。軍人出身なのにそうした道を行くベネズエラのウゴ・チャベス大統領に始まり、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイなんかも左派が政権を握ってる。
これって、アメリカが1990年代に中南米に押し付けた「経済改革」の反動でしょ。ネオリベ路線で民営化・自由化を進めた結果、民衆は貧困に陥り、潤ったのはアメリカ企業とその関係者ばかりだった。だから反米勢力に民衆の支持が集まってる。
経済至上主義のアメリカに対する、単なる「嫌米」ならぬ、姿見としての「諫米」の助言を南米がやってるわけだ。それに気付かなくちゃ。
振り返ってみれば、キューバのカストロ政権だって、独立後、アメリカが経済制裁を課したりしたために、やむなくソ連に接近したっていう面がある。アメリカの乱暴なやり方がかえって反米勢力を生み出してきたわけだよ。むろん、カストロ独裁政権は問題だらけだと思う。チャベスだって、石油収入があるからいいものの、遅れてきた社会主義って感じの経済運営がうまくいくかどうかは怪しい。しかし、アメリカが態度を改めないかぎり、南米がアメリカに対して距離を置こうとするのは当然なんだよ。
そのとおり。今年はペルーでも大統領選挙がある。親米だったアルベルト・フジモリは出馬できないわけで、まだまだ南米の動向から目が離せそうにない。
一方、中東でも新たな動きが出てきてる。まずはイスラエル首相のアリエル・シャロンが脳出血で重体に陥り、生命はともかく政治生命を断たれた。イスラエルでは3月に総選挙があるんだけど、シャロンは右派リクードを離れて中道の新政党カディマを発足させたところで、シャロンが元気なときはカディマが第一党になると言われてたのが、今やどうなるかわからない。下手すりゃ強硬派のリクード新党首ベンヤミン・ネタニヤフが後継首相になっちゃう可能性もあるよ。パレスチナを挑発しては追い詰める一方のシャロンの猪突猛進ぶりに比べれば、相手を追い詰めた上で講和するラビンやバラクのリアリズムのほうがまだよかったって言ってたんだけど、ネタニヤフに比べれば、そのシャロンですらまだリアリスティックだからね。シャロンは、ヨルダン川西岸地区を確保するためとはいえ、一応ガザ地区から撤退してみせた。ところがネタニヤフはそれに断固反対してシャロン政権の財務相を辞任したんだから。
シャロンの前の前の首相だったネタニヤフとしては、捲土重来の絶好のチャンスなんだろうけど。
交渉か弾圧かってことでは、ネタニヤフはいっさい交渉せずに弾圧するっていう路線だからね。そういう交渉と弾圧の二項対立に対し、シャロンは分離(ディスエンゲージメント)を方針として、ガザ地区から一方的に撤退する一方、ヨルダン川西岸地区の一部をこれまた一方的に巨大な壁で囲い込んできたわけだよ。とはいえ、相手を完全に無視することはできないんで、本当は分離じゃなく交渉が必要なんだけど、ネタニヤフはそれどころか弾圧あるのみって姿勢だからね。[その後、選挙ではカディマが勝利した。]
一方パレスチナでは、評議会選挙でイスラム原理主義組織「ハマス」が単独過半数を占める大勝利。
PLO主流のファタハはアラファトっていうカリスマを失ったし、幹部が腐敗しててどうしようもないんだね。その点、ハマスは貧民救済のような活動を地道に続けてきた。とくに今回は女性が活躍したってこともある。とはいえ、ハマスは、イスラエルの存在を認めないって立場で、武装闘争をやってる組織だからね。他方、リクードもパレスチナ国家を認めないって立場だけど。もしもリクード対ハマスってことにでもなったら、いったい和平交渉はどうなるのか。まあ政権を担当するとなるとある程度は現実主義的にならざるをえないはずなんだけどね――って、イランでアフマディネジャドが大統領になったときもそう言ってたら、「イスラエルは地図から抹消されるべきだ」とか「ナチス・ドイツのホロコーストはでっち上げだ」とか、過激派時代と同じ調子の発言を続けて、核問題でも国連安保理に付託されるところまで行っちゃった。それにしても、アメリカが中東に民主主義を広めようとしたおかげで各国の選挙でイスラム勢力が選ばれちゃうんだから、皮肉な結果と言うほかないね。
アラファト時代の腐敗は、東京都の美濃部亮吉や京都府の蜷川虎三の時代に、市民の為ではなく、組合の、団体の既得権益を増大させる結果を招いたのと似ているよね。右も左も蹴っ飛ばせ、と言っていた野坂昭如の気持ちが良く判るね。
あと、パレスチナ問題に関連していうと、ちょっと感動的なCDとDVDがあってさ。ユダヤ人音楽家ダニエル・バレンボイムが、今は亡きパレスチナ人文学者エドワード・サイードと、イスラエルやパレスチナ、その他、中東各国の若い音楽家を集めて、ゲーテにちなんだ名前の「西東詩集(ウェスト=イースタン・ディヴァン)オーケストラ」ってのを組織した。去年の8月21日に、そのオーケストラをヨルダン川西岸地区のラマラに連れて行って、コンサートを開いた。そのときの記録がCD(「Live In Ramallah」)とDVD(「The Ramallah Concert」)になって出たわけ(Warner Classics)。とくにDVDにはこのプロジェクトの歴史を記録した「Knowledge Is The Beginning」っていうドキュメンタリーも附属してて、すごく面白いんだよね。サイードとバレンボイムはまず1999年にゲーテゆかりのワイマールでサマー・スクールを開くんだけど、近くのブーヘンヴァルトのユダヤ人強制収容所を見学に行ったりもする。それから2002年にはセビリャでサマー・スクールを開いて、ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒がまがりなりにも共存してた中世のアンダルシアの伝統に思いを馳せる。で、2003年にはじめてアラブ世界のラバトに行き、2005年にとうとうラマラまで行くわけ。スペインのサパテロ政権がなんと全員に外交パスポートを発給したらしいんだけど、イスラエル人とアラブ人が二手に別れて現地で合流し、コンサートが終わると着替える間もなく武装した護衛に付き添われて立ち去っていく、それはものすごい緊迫感だよ。また、演奏がなかなかいいの。ベートーヴェンの「運命」はまあ「お約束」として、モーツアルトの「協奏交響曲」なんかは、管のソロもみんな頑張ってるし、ほんとにいい演奏だと思う――むろん、「協奏交響曲」を選んだことには、政治的にもシンボリックな意味があるわけだしね。アンコールのエルガーの「ニムロド」(「エニグマ」変奏曲より)もスケールの大きな演奏で素晴らしい。バレンボイムってのはちょっと古めかしい正統派の音楽家だと思ってたし、現にその通りなんだけど、神童と言われた頃から長い経験をへて、いわば偉大な凡庸とも言える巨匠的な境地に到達したんだな。振り返ってみればサイードだって早すぎた晩年には「ヒューマニズム」を前面に打ち出してて、「そんなのは古くさい」ってバカにするのは簡単だけど、凡庸とわかっててもあえてそういう「正論」を言わなきゃいけない状況ってのがまだあるんだよ。ユダヤやアラブの音楽じゃなく、モーツアルトやベートーヴェンってのも、古くさい教養主義のようにも見えるとはいえ、多文化主義じゃなくあえて普遍主義を選ぶっていう姿勢の表明としてはむしろ潔くていいと思う。それにしても、ユース・オーケストラをここまで磨き上げて一流の演奏をさせるってのは大したもんだ。他方、ドキュメンタリーの方にはラマラの子どもたちのお世辞にもうまいとは言えないオーケストラを熱心に指揮するバレンボイムの姿もあって、これまた感動的なんだよね。あるいは、イスラエルの国会(クネセト)でのヴォルフ賞受賞に際して、近隣との友好を謳うイスラエル独立宣言を引用し、自らに問う形で現在のイスラエルの政策を鋭く批判するところ――シャロン政権の文相でヴォルフ財団の理事長でもある女性が「ダニエル・バレンボイムがこの壇上でイスラエル国家を攻撃したことを遺憾に思う」と言い、バレンボイムが「私はイスラエル国家を攻撃したのではなくイスラエル独立宣言を引用していくつかの修辞疑問を呈したまでだ――むろん大臣閣下がそれに別様の答えを出されるのはご自由だけれど」と言い返すところなんかも、けっこうスリリング。残念ながらサイードは2003年に死んじゃったけど、バレンボイムが見事に遺志を継いでるわけで、いい友人に恵まれたと言うべきだよね。バレンボイムはシカゴ交響楽団とベルリンのシュターツカペレ・ウンター・デン・リンデンの音楽監督を兼任してきたんだけど、近年のアメリカじゃ寄付集めのパーティとかに忙殺されてバカらしいっていうんでシカゴの方は辞任しちゃった。その一方で「西東詩集オーケストラ」に力を注ぐってのは、ほんとに偉いと思うな。
ちなみに、佐藤真がサイードの足跡を訪ねた「エドワード・サイード OUT OF PLACE」っていうドキュメンタリー映画と、副産物の本(みすず書房)も、もうすぐ発表される。この映画は、監督自身のナレーションや、サイードのテクストの翻訳が、なんだか昔のNHKみたいな感じだったりするけれど、面白いところもたくさんあって、それこそNHKで放送されるにふさわしいドキュメンタリーだと思うよ。
音楽に戻ってもうひとつだけ言うと、カーネギー・ホールでかつてバレンボイムとサイードの公開対談(『音楽と社会』みすず書房)を企画したアラ・グゼリミアンが、ドーン・アップショウっていうソプラノ歌手のために、オスバルド・ゴリジョフっていう作曲家に委嘱した「エール(Ayre)」っていう作品が、最近CD化された(ユニバーサル)、これもちょっと面白い。アルゼンチンに移住した東欧系ユダヤ人家庭に生まれたゴリジョフは、ポストモダン折衷主義って感じの作風で、ぼくは必ずしも評価しないんだけど、今回はその折衷主義がうまく生かされてる――っていうのは、この作品はユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒が混在してた中世のアンダルシアを主な背景として、そういう様々な伝統に属する昔の歌を現代の音楽とコラージュする形でできてるの。パレスチナの詩人マフムド・ダルウィシュ(去年公開されたジャン=リュック・ゴダールの映画「アワーミュージック[われわれの音楽]」にも出演してた)の詩が朗読され、ユダヤの祈りの歌と重なったりもする。グゼリミアンはライナー・ノートにサイードの言葉を借りて「諸文化の対位法」ってタイトルをつけてるけど、ややルースとはいえ、一応それにふさわしい音楽と言えるんじゃないかな。
この辺りは博覧強記な浅田さんの講義を受けるしかない(苦笑)。
あと、映画ではやっぱりスティーヴン・スピルバーグの「ミュンヘン」かな。1972年のミュンヘン・オリンピックで、イスラエルの選手たちが、「黒い九月」と名乗るパレスチナ・ゲリラに殺される。で、イスラエルのゴルダ・メイア首相が自ら決断して特殊部隊を組織し、ゲリラをしらみつぶしに追いかけて殺していく。その特殊部隊のリーダーが映画の主人公なんだけど、いくら殺してももっと悪質な敵が現れるし、自分たちの仲間も殺されていくし、暴力の連鎖にはきりがないってんで、最後にはイスラエルを捨ててアメリカに行っちゃうわけ。ゲリラは悪だ、報復は正義だって言い張るイスラエル寄りのメディアからはずいぶん叩かれてるけど、「シンドラーのリスト」を撮り、ホロコーストの証言を残すための財団をつくったスピルバーグが、いまあえてこういう映画を撮るってのは、なかなかすごいと思う。しかも、あれほどポピュラーな監督が、ずいぶん渋いキャストで、暗澹たるエピソードばっかり2時間44分も続く映画を撮っちゃうんだから。ちなみに、冒頭のオリンピックのテロはほとんどTV画面を通じて描かれてて、若き日のピーター・ジェニングズ(去年肺ガンでニュース番組を降板してすぐ死んだ)のレポートが流れたりするところは、アメリカ人なら一種の感慨を覚えるだろうな。途中レバノンのベイルートでゲリラを暗殺するところでは女装したヒットマンが現れる、それが後に首相になるエフド・バラクだってのも面白い。最後に主人公の背景にさりげなくワールド・トレード・センターのツイン・タワーが映って終わるところなんかも、ありがちな手法とはいえ効果的だと思う。いろんな意味で注目すべき問題作なんじゃないかな。
●少子高齢化の克服法?
どうやら2005年に日本の人口が増加から減少に転じたみたいだね。
特命大臣で男女共同参画・少子化を担当してる猪口邦子から、今度、少子高齢化対策会議みたいなのをやるから出て欲しいと言ってきたの。各県知事に声を掛けてるみたいなんだけど。
うーん、猪口チェンチェイもすっかり舞い上がっちゃって政府の中でも浮いてるみたいだから、大丈夫かなあ。
そもそも、僕は、人口が減ること自体は必ずしも悪いことじゃないと思う。短期的に見て、高齢化が進むなかであまりにも急速に若年人口が減ると高齢者を若い世代が支えきれなくなるっていう大問題はある。ただ、これまでの日本は人口密度が高すぎて、狭い土地に建てる家もウサギ小屋、どこでも混雑で大変だったんだから、長期的に見れば、人口が減ってゆっくり暮らせるようになるのは、むしろいいことだよ。生産性を上げて一人当たりの所得が落ちないようにできれば、生活の質はむしろ上がるんじゃないかな。
うん、人口減少なんて今までもあったわけだしね。で、今回はどういう対策を立てようっていうのかな。竹中平蔵とつながりのあるPR業者が、郵政民営化を進める際の戦略提案書で「イメージだけで小泉構造改革を支持してるIQの低い層」を「B層」と分類したでしょ。もしかすると、出産奨励金とか渡してその「B層」をいっぱい産ませようって魂胆かも(笑)。
なるほど(笑)。
まぁフランスやスウェーデンなんかは、一時期ずいぶん下がった合計特殊出生率もかなり上向いてきたらしいけどね。
そういう国は、出産や育児をしやすい環境を整えるために、日本の何倍もお金を出してるし、女性の社会進出も進んでるからね。環境を整備すれば何とかなるってことだよ。
意図的にコントロールしようとすれば、どこかで無理は出るだろうしね。
ちなみに面白い統計があってね。デュレックスっていう世界1のコンドーム会社が毎年やってる性に関する調査があって、2005年のデータがまとまったんだけど、日本人は調査対象41か国中で最もセックスしない国なんだって(http://www.durex.com/jp/gss2005result.pdf)。
ホント?
うん。ギリシアが年に138回でトップ、日本はその3分の1にも満たない45回でダントツの最下位だよ(笑)。どういう調査をしてるのかも問題だけど。
日本人って割合淡白なのかもね。
それと、日本人はコンドームを使う率が際立って高い。
うーん、それじゃあ子どもが産まれないわけだ(笑)。
HIVが爆発的に広がらなかったとか、いい面もあるわけだけど……。
日本は疲弊しているんだよ。おたくも増えてるし。
この際、田中さんが先頭に立って、もっとペログリを奨励するってのは?(笑)
いやいや最近は僕だって淡白なもんよ(笑)。と言っても誰も信じないけどね。やっぱり首相の小泉純一郎にまだまだ頑張ってもらわなきゃ。まぁ彼の場合、キャピトル東急の行きつけの床屋が二時間もかかることがあって何やら怪しいという噂もあるけど(笑)。
どういう床屋だ(笑)。
台北には10年くらい前まで満艦飾のネオンを付けて、マッサージと称して色んなサーヴィスをする床屋が中心街の大通り沿いに林立していたけどね。
●ドラッカーの死
去年の11月に経営学者のピーター・ドラッカーが亡くなったね。
96歳とずいぶん長命だった。でも、日本での翻訳を一手に出してきたダイヤモンド社としてはショックでしょ。
ドラッカーというのは、ある意味でカール・ポランニーの実践的な後継者とも言えるんだよね。
そうかもしれない。
世の中では今ごろになって新自由主義とか言ってるけど、彼は1939年に出した処女作『「経済人」の終わり』ですでに、ホモ・エコノミクスとしての個人を前提とする経済学の時代はもう終わったって言ってるの。企業なら企業は組織なんだから、労働者を生産要素として使い捨てにするんじゃなく、組織として育てていくことが大切だ、と。
一方で、ナチス全盛期にあって国家というものの危うさも言っていたわけだ。
言い換えれば、資本主義でも社会主義でもダメだっていうんで全体主義が出てきちゃった、その時代の深い反省から出発してるからね。ただ、彼が言った真っ当な組織としての企業というのが、今は珍しくなっちゃったんだな。
だから、ドラッカーは途中で非営利組織とか言い始めたのかな。
いっぱい本を出した人だけど、『傍観者の時代』(『ドラッカーわが軌跡』として復刊)っていう自伝は面白かった。若い頃からの知り合いであるポランニー家がいかにすごいかっていう話も出てきて、やや大げさに膨らましてるもんだから、それについては栗本慎一郎が『ブダペスト物語』(晶文社)でドラッカーの思い違いを修正してるんだけど。ともかく、経済人類学を打ち立てたカール・ポランニーは、市場の「交換」や国家の「再配分」に加えて「互酬」のネットワークを考えてたわけで、弟子筋のドラッカーの中にも市場を相対化するようなヴィジョンがあったわけだ。
カール・ポランニーは、最近、僕が好んで用いる「暗黙知」で有名なマイケルの兄貴だね。マニュアル的なアルゴリズムを、創造的なアブダクションへと昇華させる上で大事な勘性。
そう。ドラッカーはそのあたりの思想を最もポピュラーかつプラグマティックな形で受け継いだというべきかもしれないね。
●文化は市場原理では計れない

独立行政法人である国立美術館、国立博物館、文化財研究所の3施設を統合しようって動きがあるでしょ。
文化面でも効率性や採算性を高めようってことらしいね。市場化テストってのをやって、運営を民間に委託することも考えられてる。
去年の11月には、平山郁夫や高階秀爾が反対声明を文科相や文化庁長官に提出した。いやぁ、ここまでくると平山チェンチェイでさえ支持せざるを得ない(笑)。文化は市場原理では計れないなんて当たり前なんだから。
そうなんだけど、一方でロクでもないキュレーターとロクでもない職員しかいない美術館や博物館が多いことも事実。そんな程度のモノなら民営化でもして、切符切りに専念しちゃったほうがいいよ。
たしかにそういう面もあるけどね。ただ、法人化とかを進める一方で、九州国立博物館なんてのが去年10月にできてるわけ(http://www.kyuhaku.com/pr/)。そんな箱モノに何百億も使えるんだったら、もう少しソフトに予算を回せばいいんだよ。狙いとしてはアジアとの交流を強調しようってことらしいけど。
どこにできたの? 福岡市内?
太宰府。福岡から小一時間かな。設計は菊竹清訓のチームだけど、建築としては大味でどうしようもない。ただ、箱じゃなく中身についていえば、日本と海外(とくに東アジア)との交流を証言する展示物(古代の金印から近世の南蛮美術まで)をごっそり集めた展示なんかをすると、予測をはるかに上回る観客が詰め掛けたわけ。だから、いつも言うとおり、国立博物館なんてのは、妙に大衆にこびようとするより、真っ当なことをやってればいいんだよ。
さらに、国立新美術館っていう新しいナショナル・ギャラリーも今年中に六本木に開館する予定(http://www.nact.jp/)。黒川紀章の設計で、これまた大味でどうしようもないんだけど、日展や何かをやる大展覧会場なんだよね。でも、いままでそういう展覧会をやってきた会場は、その分が空いちゃうわけだ。
いやはや、どちらも昔の名前が出てきたね。
とにかく、依然としてこれだけ箱モノに予算を投じておきながら、なぜソフトに予算を使わないのか。統合と民活で効率化をって、そればっかりだからね。
全部そうなんだよね。ゴミにしてもITにしても、この国の人は箱モノが本当に好きなんだと思う。中身がなくて空疎だからコンテンツがつくれない。せめて箱をつくろう、と。それならせめて真っ当な箱モノをつくって欲しいね。たとえば、グッゲンハイムやバーゼルのバイエラーにやらせるとかさ。

実際、グッゲンハイム東京分館を上野につくらないかって話もあったんだから。平山チェンチェイが反対したらしくて、実現しなかったけど。
スペインのビルバオだって分館なんだから、やればいいんだよ。東京にできたら人が来るよね。郵政や金融と違って、こうした米国資本進出なら、刺激を与えてくれる。
そういえば、平山郁夫や高階秀爾と一緒に反対声明に署名した安藤忠雄は依然頑張ってるね。こんどオープンした表参道ヒルズも、建築としては悪くないよ。並木に隠れてた昔の同潤会青山アパートの雰囲気をできるだけ尊重し、むしろ地下を掘り下げることで空間を確保してる。リニアなスペースに細長い三角形のプランをはめこんで、表参道と同じ勾配の道がフランク・ロイド・ライトのグッゲンハイム美術館みたいに螺旋状に廻っていく。建築を都市に畳み込む、と同時に、建築に都市を畳み込むっていう試みが、レム・コールハースみたいな過激なジェスチュアを排して、自然な形で実現されてるって言えるんじゃないかな。むろん、いつも通りの安藤忠雄スタイルには違いないんだけど、最近の若い建築家が流行のスタイルでメチャメチャなものをつくることを考えれば、安藤忠雄ってのはやっぱり賢明な選択だったと思う。ただ、アパートは上層階に少し残っただけで、中身はどこにでもあるようなショップがほとんどだから、他の商業施設とどこが違うのかってことになるんだよね。
とは言え、安藤の作品も含めて、表参道沿いは青木淳のルイ・ヴィトンに象徴されるように、格子模様の外観で辛うじて和風な感じを漂わせようとする建造物が多いね。何だか昔の遊郭の通りを連想させる。
建築の話でそれと対極的な例をあげれば、いま東京ステーションギャラリーで「前川國男建築展」ってのをやってるの(http://www.ejrcf.or.jp/gallery/index.asp)。
ああ、やってるね。どう、いい?
ものすごく真面目な展覧会なんだけど、悪くはない。戦前、ル・コルビュジエのところに留学してた頃の作品から始まって、戦中のプロジェクトも出てくる。彼はル・コルビュジエのところで「最小限住宅」のプロジェクトを担当したりしてて、戦後の日本で簡単につくれるプレハブ住宅の開発に力を注ぐんだけど、「基幹産業の復興が先だ、住宅なんて後回しだ」っていう国策ゆえに、あまり建築されることがなかった。それでも、戦後すぐ新宿の焼け跡に建った紀伊國屋書店なんて素晴らしくいいの。二階建てなんだけど、ヨーロッパの本屋みたい。それを建て替えた今の新宿紀伊國屋ビルも、都市を内部に引き込むような入り口とか裏まで抜ける通路とか、なかなか面白い。最近の新宿南口の紀伊國屋書店なんかに比べると、建築家の主張があるわけだ。東京文化会館や京都会館なんかだって、ちゃんと見直すとそれなりに大したものだと思うね。でもまあ、戦後すぐの時期と比べると、ずいぶん保守化して、良かれ悪しかれ重厚になってる。「丹下健三が国家の建築家になったのに対し、前川國男はそういうものに抗い続けた、だから丹下より前川を評価する」っていう、俗耳に入りやすい議論に僕は同調しないんで、むしろ、一歩下がったところで一見地味なことをやり続けた前川こそ日本の保守本流だと思うな。とはいえ、最近の建築バブルにのって浮かれてるデザイナーなんかと比べれば、再考に値する真っ当な建築家であることは、認めるに吝かじゃない。
ちなみに、東京駅を昔の姿に近づけて再建するってんで、ステーションギャラリーもこの展覧会をもってしばらく閉じちゃうんだね。昔のままのレンガの壁が展示室に露出してるところなんかはなかなかいい感じだったんで、くれぐれも妙に小ぎれいにリフォームしないようにしてほしいんだけど。
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