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●相も変わらぬ日本外交の迷走

相変わらず国連安全保障理事会の改革をめぐっては進展がないね。常任理事国入りをめざすG4(日本、ドイツ、インド、ブラジル)が国連総会に出した「枠組み決議案」の採択は行き詰まっちゃってるし。
どうやら仕切り直しってことで、G4は九月に新たな決議案を提出するらしい。アナン事務総長は改革の成果を出す時期について「クリスマス前の実現」を望むと言ってたけど。
ところが、そうやって期限を設けることに、アメリカや中国が反発してる。アメリカのボルトン国連大使は、議会の閉会中、その承認を得ないまま強行任命で就任したわけで、異例中の異例だけどさ。
いやぁ、日本の前途は多難だねぇ。
ところが、外務省は常任理事国入りを急に金科玉条にして、今年の五月には世界各国に赴任してる約一二〇人の大使を東京に召集して会議まで開いたわけでしょ。
大使連中なんて一種の里帰り気分だよ。みんなファースト・クラスに乗って帰ってきて、それだけで二億か三億ぐらいかかってる。バカバカしい話。
外相の町村信孝がそこで「小泉内閣の最重要課題という位置づけになっている」とか檄を飛ばしたらしいんだけど、小泉は厚生大臣時代には常任理事国入りに反対だったんだよ。しかも、今回これだけ大騒ぎしたあげく実現の目処さえ立ってないんだから。
実際、常任理事国になれるとも思えないしね。現に、アメリカにいる外務省の連中は見切りを付けて、ゴルフと宴会の日々らしい。頽廃の極み。だから、前から言っているように、日本はアメリカに吸収合併して貰った方が賢明だったりして(笑)。常任理事国になろうなんて考えるより、その方が人口の三分の一を占めるから、拒否権だって発動可能。ヒスパニックとも連携すれば、元日本国籍の大統領も誕生可能(笑)。

アメリカに編入されりゃ自動的に常任理事国にもなれる(笑)。
うむむ、そうであったか(苦笑)。外交ってことで言うと、北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議にしたって、韓国は北朝鮮に行き、中国に行き、アメリカに行き、長野県議会が言う「根回し」とは違う意味で色々と事務レヴェルでも高官レヴェルでも準備してるわけよ。中国だって同じ。なのに日本は何にもしていない。日本の外務省ってホントにダメだよね。
たとえば、田中均という人物に対する評価はいろいろあるとしても、やっぱり北朝鮮問題は小泉訪朝を仕掛けた彼にある程度のところまでは任せるべきじゃないの。ところが、彼はこの段階で退官させられる。
結局は外交も、小泉は自分のホビーとして捉えてるだけ。年金を始め、遅々として進まぬ内政問題から目を逸らさせる為の。拉致被害者家族にも対しても、今や冷たいもんだ。冷徹ならぬ冷酷な長野県出身の飯島勲秘書が画策してるんだろうね。事務局長の増元照明さんが慨嘆してるでしょ。それにね、一国の首相が姉を公設秘書として税金から給与を出しているのを問題視しないマス・メディアも、信じられないけど(苦笑)。
どうかしてると思うよ。もちろん、一番どうかしてるのは北朝鮮だけどね(笑)。六カ国協議については各国の代表も困ってるんじゃないかな。
北朝鮮が核の平和利用を認めろと主張して譲らず、共同宣言も出せない状態。
他方、アメリカは平和利用も頑として認めない方針だからね。だけど、平和利用もダメってことになると、北朝鮮としては、前回のKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)の合意(軽水炉の供与を認める)のときよりさらに譲歩したことになる。それは、金正日としては耐えがたいってことだね。
ともかく、前国務長官のパウエルがブッシュから遠ざけられてたのに対し、新国務長官のライスはブッシュの側近中の側近だし、そのパイプを利用して国務省が活発な外交攻勢をかけてる。だけど、これがうまくいかなかったら最終的には軍事オプションもありじゃないかな。現に、ステルス戦闘機を韓国に配備して、すでに偵察飛行を重ねてるっていう説もあるし。
北朝鮮はそれをどう読んでるのかね。協議は八月末くらいから再開の予定だけど、いずれにせよ、この問題も簡単にはいきそうにないね。
そういうわけで拉致問題についてはいっさい進展なし。二国間の問題だからってことで、六カ国協議に持ち出すことさえ迷惑がられてる。どうしようもない手詰まりだよ、日本の外交は。
●危機を増幅させる先制予防攻撃論
ロンドンで、七月七日の大規模テロに続いて、七月二一日にも同時爆発事件があったね。
最初のテロは、英国グレンイーグルズのG8サミットの開催中、前日にロンドン五輪が決まるというタイミングで起こった。面目を潰された英当局の厳戒態勢のなか、たった二週間後に二度目のテロがあったわけだ。凄い話だよね。
アル・カイダの犯行かどうかもわからないけど、アル・カイダの凄さって、ちゃんとした意思決定機関があってピラミッド状の組織で動いてるわけじゃなく、何となくメッセージを出すと世界各地にいる内心不満を抱いたヤツらが自然発火するってことだよね。いわば自律分散型テロ組織。それだけに怖いよ。
リナックス型ね。
でも、二一日の事件があった次の日、ロンドン警視庁の捜査官がテロ容疑者だと勘違いしてブラジル人男性を射殺する事件があったでしょ。しかも、胴体を撃つと自爆用爆弾をもってたとき爆発するからって、至近距離から頭部に五発も銃弾を撃ち込んだ。捜査官がビビッてたのは理解できるけど、これは明らかにやりすぎだよ。

まったくだ。当初は、射殺された男性が暑い日なのに怪しげな厚手のジャケットを着てたとか、捜査官の追跡に気づいて逃走を図ったとか言われてた。それで捜査官が発砲したんだ、とね。だけど、実際には服装も挙動も怪しくなかったって報道も出てきてる。つまりは、捏造って事だ。いずれにせよ、イギリスの警察が相当に強硬な捜査をしていたことは確かでしょ。
そう、怪しいやつだからやむなく撃ったっていうのがウソだった、しかも、警察がその報告を隠してたってんだから、めちゃくちゃにも程がある。さすがに、二人のブレア、つまりブレア首相とブレア警視庁長官は辞任すべきだって声が出てきた。っていうか、もし誤射殺されたのがブラジル人じゃなくアメリカやフランスの白人だったとしたら大問題になってたんで、警視庁長官は、即、辞任だよ。それが、今後も状況次第ではこういうことがあり得るって言って居直ってたんだから。
改めて、人の命には軽重があるのだと思い知らされるね。
結局、いわゆる「ならず者国家」からテロリストに至るまで、セキュリティってことを言い過ぎると先制予防攻撃の論理になるんだね。攻撃されてからでは遅い、疑わしきは前もって罰せよ、と。でも、それは近代の法秩序の原則に反してるし、歯止めが利かなくなると思うよ。
つまりこれって、先制攻撃を唱えたブッシュ・ドクトリンと根は同じなんだよね。そういう大きな話が、規模は小さいけれどロンドンで体現されちゃったっていうかさ。
そうなんだよ。たしかに、今の世界に容認しがたいリスクがあることは事実。でも、だからといって先制攻撃・予防拘禁を容認しちゃったら、近代の法秩序なんてなくなっちゃうからね。
まぁ、どう考えてもブッシュはこの事件を批判できないな。
もしアメリカの白人が誤射殺されてたとしても、批判できないだろうね。アメリカ自体が国を挙げてそういうことをやってるわけだから。
●ニートだらけのサウジアラビア?
サウジアラビアのファハド国王が亡くなったね。八二歳だったらしい。で、アブドラ皇太子が新国王になったわけだけど、こちらも八一歳というのがすごい(笑)。さらには新たに皇太子になったスルタン国防相も七七歳とか八一歳とか言われてる。どれも推定年齢ってことも含めてびっくり。
その連中って実は全部アブドルアジズ初代国王の息子で兄弟なんだよね。アブドルアジズには王子が三六人、王女が二七人いたっていうから。で、いまや直系の王族だけでも千数百人いる。
その王族たちで国家の枢要ポストをすべて押さえ富も独占してるわけだ。だから貧富の差は激しい。それと、急激に人口が増加してる反面、高福祉政策の負の側面として、国民の勤労意欲は低い。そのうえ、これまでフィリピンやインドから外国人労働者を何百万人も入れてきた。だから若年層が就労しない問題が深刻化してる。

労働力人口に占める外国人の割合が三分の二と言われてるよね。
働かない若者が多いってのは、日本のニートみたいなものかな。
いやまあ、やっぱり普通の若年失業者でしょう。
そうした状況のなか、ファハドは親米路線だったけど、今度のアブドラ国王は単純な従米的ではないんだよね。だからなかなか面白いと僕は思ってる。そこに着目して、中国は親アブドラでしょ。ここでも日本の外務省は蚊帳の外状態。
ファハドは湾岸戦争のとき米軍の駐留を許し、それが国内で反発を買ってオサマ・ビン・ラディンのような人物を生む原因にもなったからね。
アブドラはファハドが九五年に脳卒中で倒れてから実質的なトップとして政務を取り仕切ってきたけど、その間に少しずつ民主化を進めようとしてた。さらに、あれだけいっぱい王族が居て、利権を巡って百家争鳴だってのも、日本の機能していない議会制民主主義みたいなもの(笑)。そういう意味じゃ、日本はサウジの今後を注目していくべきだとも言えるよ。
サウジに限らず、アラブ諸国が、アメリカ主導じゃない、あくまで内発的な民主化を進めていくってのが、いちばんいいシナリオだからね。
●アスベスト問題の根深さ
機械メーカー・クボタの件から火がついたアスベスト問題だけど、あれはひどい話だね。潜伏期間が三〇年から四〇年に及ぶっていうし、実際には日本全国で一〇万人ぐらいのオーダーで被害者が出るんじゃないか。もちろん一件一件について因果関係は立証できないだろうけど。
健康被害が発生している事を厚生労働省は把握していながら対策が遅かった。その意味では薬害エイズの二の舞いだよ。だって、一九八〇年代の終わりから九〇年代始めにかけて、アメリカであれだけ社会問題になってたのに。あっちじゃ、賠償金額の高さが原因で、幾つもの企業が民事再生法にまで追い込まれてる。
象徴的な話で言うと、当時、会社買収のときに注意すべき事項の一つに、アスベスト問題が入ってたわけ。つまり、撤去費用や訴訟費用のリスクを抱えてないか、と。日本じゃ、他国でそういうことが起きてるって知ってたはずなのに、放置してたわけでしょ。不作為の罪だけど、作為的な不作為とさえ言えるよ。
日本では平成元年以降、各自治体がアスベストを使用してる事業所を把握するようになってる。それ以前は労働基準監督署だったんだ。で、僕は長野労働局に、県内の平成元年以前の事業所名の一覧を出せといったんだ。そしたら出せないというわけ。情報は持ってるけど整理中だ、と。続いての言い草は、厚生労働省には既に伝えてある、本省の判断待ちだ、と。で、うちは厚労省にガンガン言ったわけ。情報を出せ、と。そうしたら、事業者に迷惑がかかるとかなんとか言うのよ。ふざけるなって。誰を守ることが基本なわけよ。事業者を守るのか、国民を守るのか。まったくどうしようもないね、厚生労働省も。
そういうバカなことをしてきた結果として、大量の人々が癌とかになっていくんだ。官僚組織の病いは深いなあ。
仰るとおり。霞が関官僚を解体しないと。その霞が関から一向に反発されていない小泉純一郎は、その点のみをもってしても、改革を進めていないのは明らか。だってね、僕は全国知事会で国の行財政改革評価研究会の座長を務めていたから知ってるんだけど、この四年間で国家公務員の人員は僅か一・五%しか削減されていないの。これは同期間に地方公務員が削減された数値の五分の一に過ぎない。しかも、国家公務員の給与を一〇〇とすると、独立行政法人のそれは一〇七・四。従来の特殊法人等への税金の投入額と、特殊法人と独立行政法人等への投入額は、ほとんど変わらない。そりゃぁ、霞が関の官僚が「小泉改革」に反発しないわけだよ。看板を付け替えて、天下り先を増やして、焼け太り。
●「亡国のイージス」の裏?
何かの間違いで『亡国のイージス』(http://aegis.goo.ne.jp/)って映画を見ちゃったんだけど(笑)、イージス艦の爆発シーンで、向こう側が透けて見えるんだよ。もうちょっとちゃんと合成しとけっての(笑)。
なんだそりゃ(笑)。しかし、ディテールをないがしろにする映画業界の衰退は深刻だ。
『亡国のイージス』って、僕は原作を読んでないんだけど、映画を観た範囲じゃこのタイトルは間違ってるよ。内容からすると、国の体をなしてない国を守る楯(イージス)っていう意味のはずなんだ。でも『亡国のイージス』じゃ、イージス艦を持つことで国が滅びかねないみたいな意味に聞こえるでしょ(笑)。
『憂国のイージス』なら、この連載とタイアップ出来たのに(笑)。
とにかく、国の体をなしてない国を守る自衛官の悲哀ってことで、イージス艦の士官たちが思い悩んだり、その結果として逆に北朝鮮のコマンドと通じたりする一方、下士官の真田広之が、とにかく生きるため、部下を生かすために、『ダイ・ハード』のブルース・ウィルスばりにジタバタしながら頑張りまくる。そのあたりはアクション映画としては悪くない。悪くないけど、とにかくイージス艦の向こうが透けて見えるのはダメでしょう(笑)。
それと、よっぽど原作の出来が悪いのか、脚色がヘタなのか、士官たちが何でそうやって反乱にまでいたったのかがよくわかんないわけ。寺尾聰が副艦長で艦長を殺して艦を乗っ取り、中井貴一演ずる北朝鮮のコマンドと組むんだけど、そこまでやる必然性が納得できない。真田広之の視点から見た物語としてはよくできてるんだけどね、何だか訳がわかんないけど、上官たちがイデオロギーに浮かされて変なことをしてる、何としてもオレが艦を守らねば、みたいな(笑)。

ヒットはしてるのかな。
あんまりしてないでしょう。夏休み映画としては、やっぱり先月も言ってた『スター・ウォーズ エピソード3』あたりが強いみたいよ。あと、家族向きの日本映画としては、タイに象使いの修業に行く男の子を描いた『星になった少年』(http://www.randy-movie.com/index.html)かな。まあ、映画としてどうってことはないけど、自身サルみたいな柳楽優弥も含め、動物たちが生き生きととらえられてて、ラヴリーな映画には仕上がってる。また、坂本龍一が音楽を担当してるんだけど、職人芸に徹してメチャクチャにうまいの。ベルトルッチ仕様にだってできる音楽を、トイ・ピアノなんかも使ってかわいらしい感じにおさめてるんだけど、それこそ一〇分の一秒単位で画面によりそってみせる職人芸はさすが。そもそも、オリジナルな表現とかが苦手で、発注された仕事は完璧にこなすタイプの、その意味ではまさにポストモダンなアーティストだからね。
だけど、その坂本龍一の久しぶりの日本ツアーは、これまたとってもよかったよ。デビュー・アルバムの「千のナイフ」から最新アルバムの「Chasm」までを網羅した、サーヴィス満点のコンサート。X-JAPANならぬex-Japan(元ジャパン)のスティーヴ・ジャンセン(ドラムス)とスクーリ・スヴェリソン(ベース)が坂本龍一と形成するバンドとしてのコアと、クリスチャン・フェネスと小山田圭吾による音響が、もうひとつうまく融合してないところもあったけれど、もはや古典と言われる「Riot in Lagos」なんかはどんなリミックスより良かったし(何しろ作曲者自身が手で弾いてるんだから)、「coro」から「The End of Europe 」にいたる盛り上がりもパワフルだし、いまあえてバンド編成でやるっていう実験としては面白かったと思う。サーヴィス志向ってことでカジュアルな映像(堀切潤)を導入したのは失敗だったと思うけど。それにしても、八月七日にロック・イン・ジャパン・フェスティヴァル二〇〇五で大トリのサザンオールスターズの「前座」を務めたってのはすごい。坂本龍一は、フェスティヴァルについて、あんなのロックじゃない、ただの歌謡曲だって呆れてたけどね。しかも、翌八日には一転して初台のICC(インターコミュニケーション・センター)のローリー・アンダーソン展会場でラップトップ・ライヴをやったわけ。だいたい、音響の海がゆっくり変容していくって感じの、サカモト+フェネスのローマ公演(Touch からCD化されたやつ)に近い線で、ローリーの語りの録音をフィーチャーしつつ、さらに重層化した感じ。ミュージシャン相互の反応が良すぎてあまりに予定調和的に移行・収束していくのが難といえば難、しかし、そのくらいよくまとまった、美しすぎるくらい美しいパフォーマンスだった。まあ、あえて批評家的にいえば、あまりにロマンティックになりすぎてるとは言えるかもしれないけどね。フェネスなんかは、ラップトップからめちゃくちゃなノイズを出すのに夢中だったMEGOの混沌に飽きて、いまはむしろ美しい統一感を志向してるって言ってたけど、六〇年代からの経験を踏まえていえば、あまりに早く一方の極から他方の極に振れすぎてるんじゃないかな。ともあれ、坂本龍一も、池田亮司やカールステン・ニコライなんかの徹底してドライなテクノミニマル・ミュージックに興味を示す半面(この秋にはニコライとのヨーロッパ・ツアーが予定されてる)、結局はロマンティシズムにおいてフェネスなんかと意気投合してるんだと思う。
それにしても、NTT東日本がICCを閉鎖しようとしてるのはもったいない話だと思うな。しかも、閉鎖すると決めてるようで、公けにはまだそのことを発表できないっていうんだから、そこで働いてる人たちはもちろん、アーティストや観客に対してもアカウンタビリティを果たしてないと言われても仕方がないよ。そもそも僕は一九九〇年頃から伊藤俊治や彦坂裕とICCを企画したコミッティの一員なんだけどさ。IT時代の文化施設としてメディア・アート・センターをつくるっていう構想は、まさにNTTにふさわしいものだし、その後の展開を先取りする先見性をもってたと思う。現に、九七年の開館以後、ICCは世界的にも主要なメディア・アートの拠点として認められてきたわけだしね。むろん、われわれは企業のサポートする文化施設が勝手に前衛的な実験だけしていればいいっていうような無責任な議論をしてたわけじゃない。たとえばNTTグループの研究所群の研究成果を、直接、あるいはアーティストと協力してプレゼンテーションするといったイヴェントがあってもいいし、NTTの宣伝・営業活動と連動して、アーティストたちに未来の通信端末を構想してもらうといった試みをやってもいい、本格的なメディア・アートに加え、そうしたさまざまな活動を展開していくことで、ICCがたんなる「美術館」じゃなく、NTT全体の活動と有機的に結びついた文化的インターフェースになるべきだし、またなれるはずだ、というようなことを言ってたわけ。そのためには新しい文化施設のマネジメント・システムの開発・構築こそICCの成功の鍵であるってことも言ってたんだよ。でも、そこまでいくとNTT外のコミッティ・メンバーが容喙できない問題も出てくるし、かといってNTT内ではとりあえず施設を立ち上げるのに忙殺されてそれらの問題が十分に検討されてこなかった。結局、ICCは世界的に注目される活動を展開しながら、それにふさわしいマネジメント・システムをもたなかったために、NTTグループ内で極端に言えば「若いアーティストやキュレーターが無駄な予算を使って勝手な実験をやっている場所」といった印象を持たれてしまったんじゃないか。それに、ある幹部のペット・プロジェクトだったものは、その人がいなくなると誰も面倒を見なくなるっていうような事情もある。結局、ICCも、NTTの東西分割に伴ってNTT東日本の付属施設になるといった流れのなかで、ジリ貧状態へと追い込まれていったわけ。ということは、裏を返せば、マネジメント次第で、ICCは、NTT東日本、ひいてはNTTグループ全体にとって、貴重な資源となり得るはずだと思うよ。ローリー・アンダーソンの大規模な回顧展が開かれ、本人もオープニングでパフォーマンスをやったりアーティスト・トークをやったりする──ちょうどそのとき東京で地震があって大変だったみたいだけど。坂本龍一ツアーのメンバーが、ツアーでは聴けなかった前衛的な即興を聴かせてくれたりする。そもそも、ローリー・アンダーソンや坂本龍一のような連中が「面白いからちょっと行ってみよう」と言って気軽に来訪する、またそれに即応する技術的なサポート体制も整ってる、そんな施設を持ってる企業が、世界のどこにあると思う? そういう貴重な財産を無造作に捨てるってのは、いかにももったいないよ。むろん大企業の内部でそういうナイーヴな(?)議論が簡単に通用するとは思ってないけど、幸か不幸かまだ最終結論が公表されてないこの時期にNTT東日本が未来志向で方針を見直してくれるよう祈るばかりだね。そもそも、ローリー・アンダーソン展では、ロビーに電話の受話器がぶらさがってて、耳に当ててみるとウィリアム・バロウズの声が聞こえてきたりする。電話会社にこれほどふさわしい展覧会ってちょっとないんじゃない?
●夏のヒロシマから
この間、今年のヒロシマ賞の授賞式があったんで行ってきたの。広島市長の秋葉忠利とも久しぶりに会った。でも、話を聞くと、やっぱり田中さんと同じで、彼の提案も全部市議会で否決されちゃうんだってね。しかも彼には田中康夫的な戦闘力もないし、大変そうだった。
なかなか難しいよね。「怯まず、屈せず、逃げず」を実践し続け得る人は少ないんだ。で、みんな取り込まれちゃうんだな、ピラミッドの中に。
秋葉自身は優秀なんだよ。英語もできて、受賞者なんかともちゃんとしゃべれるし。
勿論、それはそう思う。でも、僕も彼の選挙の応援に行ったけど、或る意味、もう少し判り易く喋らなきゃダメなんだよ。彼に期待する中高年への親しみを表さないとね。自分から駆け寄っていかなくちゃ。橋本大二郎にも似た部分が有るんけど、相手が握手を求めてくるのを待っている。インテリである事が邪魔をしてしまう。田中康夫のクローン人間を造るしかないのかね(笑)。
そういや八月六日に第二回の「田中康夫塾」を「チームニッポン(http://www.team-nippon.com/)」の主催で行ったんだ。そうしたら、参加した人が、うちの自治体を変えてくれる候補者を地元に来て、見付けて下さい、とか言うわけ。あのさぁ、先ずは君たちが自分で見つけなきゃダメだろう、どうして自分で立候補しないんだよって(苦笑)。チームニッポンも、メンバーとして入った途端に「何をやるか指示をしてくれないのがおかしい」とか言い出す人がいるし。
それこそアル・カイダ系のテロリストを見習って自律分散型で勝手にやってほしいよね(笑)。
まったくだ。ところで、今年のヒロシマ賞は誰が獲ったの?
シリン・ネシャットっていうイランの女性アーティスト。イスラム社会における男性と女性、群衆と個、分離と出会い、抑圧と侵犯みたいなテーマをシンボリックな儀式的表現に託した映像作品をつくってきたわけ。まあ、イラン女性だからシンボリックな儀式的表現が許される、むしろ面白がられるってのは、まさにポストコロニアルな(逆)差別だとも言える──っていうか、イランでもアッバス・キアロスタミからサミラ・マフマルバフにいたる映画作家たちは、象徴性もふまえつつ、しかしずっと現実的な映画を撮ってきたわけだからね。そういえば、シリン・ネシャットはこんど映画も撮ることになってて、その音楽がまた坂本龍一なんだな。最近の作品で使ってるフィリップ・グラスの音楽なんかよりはるかによくなるとは思うけど、映画としては一体どうなるか。でもまあ、現在の世界情勢からみるかぎり、シリン・ネシャットはヒロシマ賞に向いてたし、よかったと思うよ。広島市現代美術館で一〇月まで受賞記念展覧会をやってる(http://www.hcmca.cf.city.hiroshima.jp/)。
そういや小泉は八月六日に広島の原爆死没者慰霊式と平和祈念式に行ってたわけでしょ。であれば、それこそ広島市現代美術館の展覧会に立ち寄ればいいのに。ところが彼は福山市の中川美術館とかいう中国美術を集めてるところに行っちゃった(http://www.nakagawa-art.com/index.htm)。日中友好のためとかいってさ。これも秘書官の飯島勲の入れ知恵なのかなぁ。どうもセンスが悪いよね(苦笑)。というよりも教養を感じさせない薄っぺらさ。長崎、広島両県を除くと全国で唯一、原爆症の専門医による被爆者への診療を毎年、継続して長野県は行っているんだ。「被爆後60年〜信州の医療支援〜」というシンポジウムを行って、「アトミック・カフェ」も最初に流したんだ。マイケル・ムーアが師匠と仰ぐケヴィン・ラファティらが二〇年前に作った、浅田さんも大絶賛の映画ね。何せ、ケヴィンはジョージ・W・ブッシュの従兄弟な訳だから(笑)。話を戻せば、小泉は広島原爆病院を始めとする施設にも行かなかったわけだ。
昔、中曽根康弘があそこに行って、「病は気から」って言っちゃったんだな(笑)。
ともあれ、ぼくはその翌日に宮島達男の「死の三部作」を展示してる熊本市現代美術館に行って、アーティスト ・トークの相手役を務めたわけ(http://www.camk.or.jp/)。宮島達男は八八年にLED(発光ダイオード)のカウンターの作品を作り始め、ヴェネツィア ・ビエンナーレのアペルト部門に出品した「Sea of Time」で世界的なセンセーションを巻き起こす。で、九九年にヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表になったとき、「Mega Death(大量死)」っていう作品を出品するわけよ。これは今回の回顧展にも出てるけど、壁一面に青い数字がそれぞれ時を刻んでて、それが個々の生命だとすると、すべての数字が一挙に暗転する瞬間がある、これがまさに「Mega Death」にあたるわけ。口で言うと単純そうだけど、壁一面に瞬いてた数字がとつぜん音もなく全面暗転する瞬間はやっぱり戦慄的だし、長い暗転のあと数字がパパパパッと点灯して全面に広がっていくところはやっぱり感動的。アーティスト自身も言ってたけど、あまりにわかりやすいベタな表現だって言われることを覚悟して正攻法で勝負した、大胆な傑作だと思う。ともあれ、広島に行った翌日に熊本でこの作品に再会して、感慨深いものがあったな。
前に見た直島の「家プロジェクト」にも宮島達男の作品があるよね。
うん。六本木のテレビ朝日の壁の白い大きな数字も悪くないとはいえ、あんまり意味がないでしょ。やっぱり、広島にちなむ作品とか、直島の作品とか、ああいうののほうが必然性を感じるな。
しかし、この夏に行くとしたら、やっぱり札幌郊外のモエレ沼公園でしょう(http://www.sapporo-park.or.jp/moere/)。モエレ沼のゴミ捨て場を公園に変えようってことで、イサム・ノグチが八八年に亡くなる直前まで頑張ってマスター・プランをつくった。それをもとに、彼の遺志を継ぐ人たちが、札幌市の公園整備事業として、一八九ヘクタールに及ぶ公園を、今年までかかって完成させた。公園そのものが彫刻だっていうコンセプトで、さすがに壮大だよ。イサム・ノグチは日系だけどアメリカ人だってことで、広島平和記念公園の原爆慰霊碑の案を実現させてもらえなかった。香川県の牟礼の旧居がイサム・ノグチ庭園美術館(http://isamunoguchi.or.jp/)になってて、亡きアーティストの息吹を感じさせる雰囲気が実に素晴らしいけれど、あまりに美しい日本的空間になっちゃってる気もするし、そもそもこれは作品として構想されたわけじゃない。ゴミ捨て場を巨大な大地の彫刻に変貌させたモエレ沼公園っていう傑作を一種の遺言として日本に遺せて、イサム ・ノグチも本望だと思うな。確かに、本人が細部までつくったわけじゃない、でも、そのあたりは割り切って、残されたモデルを明快な形で実現した、そのことで、コスモポリタンだったイサム・ノグチの普遍性がよく出てると思うよ。そりゃ、アイヌの住んでた時代の記憶がほとんど表現されてないとか言おうと思えば言えるだろうけど、それどころか人類史を超える大地と石の時間で考えてるつもりのアーティストに「政治的な正しさ」(ポリティカル・コレクトネス)なんか要求してもはじまらないからさ。実際、歩き回るだけで大変ではあるものの、たしかに、古代の遺跡にも匹敵するスケールを自分の体で実感することができる。自転車や車椅子の貸し出しもあるけどね。あと、ゴミ箱がなくて、ゴミを来訪者に自分で持ち帰らせるところも、徹底してていいんじゃないか。人工の山に登って壮大な起伏の彼方に日が沈むのを眺めたあと、フレンチ・レストランで食事する(ちょっと凝りすぎてるのが逆に田舎くさいけど、食材はポテトひとつとっても素晴らしい)なんてのは、なかなか贅沢でいいよ。札幌芸術の森美術館(http://www.mocas.jp/index.html)でもイサム・ノグチの生誕百周年記念展をやってるし(九月以降は東京都現代美術館に巡回)、避暑がてら見に行く価値は十分にある。
こうしてみると、しかし、地方は文化的にもずいぶん頑張ってると思うよ。やる気のあるキュレーターがひとりでもいれば、何とかやれる。他方、東京なんかは、独立行政法人化された国立美術館群を筆頭に、大胆な試みがどんどんやれなくなってきてる。日本テレビの氏家齊一郎が館長を務める東京都現代美術館なんて、もはやスタジオ・ジブリ美術館みたいなものだもん(笑)。そうやって首都が陥没し地方が突出するってのは、しかし、全体として見るといいことなのかもしれないね。
●田中康夫が「新党日本」の党首に!
なあんて呆談してたら、今回の郵政民営化法案に反対して自民党を飛び出した荒井広幸らと一緒に「新党日本」を結成し、田中さんが党首に!
ハーメルンの笛吹状態な小泉体制はマズイでしょ。元々、荒井とは知事になる前からの知り合いで、地方の現場での改革を国全体で実践しなくちゃ、日本は駄目になる、と前々から語り合っていたんだ。郵政民営化だって、「週刊ダイヤモンド」本誌で野口悠紀雄も呆れているように、今回の法案は余りにザル状態。六兆円も税金を注ぎ込んだ長銀(日本長期信用銀行)を六〇〇〇分の一の一〇億円でリップルウッドに熨斗紙付けて売り渡して、その新生銀行は瞬く内に一兆円の利益を上げた、その二の舞いでしょ。与謝野馨なんぞは、「国 売り賜う勿れ」と体を張るべきなのに、逆なんだから、呆れちゃう。
こうした中で、増税無き財政再建、年金通帳の導入、霞が関官僚政治の打破を掲げて、「信じられる日本へ。」を合い言葉に「新党日本」立ち上げることになったんだ。社会的な意識が高いが故に既存政党には馴染めなかったウルトラ無党派の人々に支持される政党を目指すよ。何せ、「常識をひっくり返すことにこそ、夢がある」と結党宣言の中でも謳っているくらいだから(http://www.love-nippon.com/)。引き続き、県知事として地方の現場から、そして政党代表として日本を変えていくんだ。でも、その前に田中康夫が田中康夫として生き続けるのは勿論だけど(笑)。
社民党の言うように、自民党と民主党ではカレーライスとライスカレーの差くらいしかないっていう大政翼賛状況(しかし「社民党がオムライスになる」ってのはどうよ?)で、小泉純一郎の暴走を止め、石原慎太郎を先制/抑止するためには、もう悠長なことは言ってられない、反ファシズム人民戦線で、大異を残して大同につくしかない、と。まあ、今度の衆議院議員選挙では、さすがに準備不足で、小泉に歴史的大勝利を許す一方、新党日本は十分多くの議席を獲得することができなかったわけだけど、敵の先制攻撃と拮抗する田中さんの瞬発力には改めて驚くし、小泉路線に警鐘を乱打する役割は十分に果たしてると思う。まあ、これからが本番ってことで!
続・憂国呆談の本誌版とWeb版をまとめた単行本『ニッポン解散──続・憂国呆談』(定価1800円+税)が、2005年9月末にダイヤモンド社より発売されます。
02年の田中康夫・長野県知事再選から、05年の解散総選挙・自民圧勝に至る激動
の3年間を、軽妙&クールに語り尽くした究極の対談集です。是非お読み下さい!
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