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●長野でも百条委員会

東京都議会に続き、長野県議会でも二五年ぶりに百条委員会がつくられたんだね。田中さんの後援会の幹部で下水道工事会社役員をやってる人物が、県の下水道工事の入札制度を変更するよう働き掛けたとされる問題を調べるっていうんでしょ。
そういうことらしいね。ただ、僕の後援会の幹部じゃなくて「元幹部」ね。なぜか県議会はずっと「幹部」で通してるけど、彼は自民党員で、しかも不信任決議の首謀者にして「信濃毎日」の大株主として知られる県議会の石田治一郎の後援会員だったんだ(苦笑)。いやはや。
で、今にして思えば、その人物は二〇〇〇年の僕の初出馬の極めて初期段階から長野を変えたいと僕にアプローチしてきたんだ。一緒に選挙カーにも乗ってね(苦笑)。で、その「働き掛け問題」があったとされるのは二〇〇三年だから、もしホントだとすると三年間も我慢してたわけで、ずいぶん辛抱強いなぁという気もするけど(笑)。
で、どんな「働き掛け」があったとされてるわけ?
その元後援会幹部が、県下水道公社とか県下水道課の人に、公社が発注する業務の入札では県内業者を優先しろって働き掛けたんじゃないかってことみたい。さらには、その働き掛けの様子を記した議事録を僕が情報公開させなかったんじゃないか、と。
前者の件で言えば、僕も県内業者が質の高い仕事ができるのなら、なるべくそちらがやるほういいとは思うよ。実際にそういうように入札制度も変わってきた。でもそれは、そもそも土木部も出納長も同じ見解で、であればこそ、長野県公共工事入札等適正化委員会でも話し合われて、変更になった訳だからね。後者についても、僕はその議事録が公文書なのか職員のメモなのか、ちゃんと調べて適切に処理してくださいって言っただけ。
結局、来年の知事選挙に向けて、僕のイメージ・ダウンをはかりたいと考えてる人々がいるんだろうね。
それってまた知事不信任のときみたいな自爆攻撃になっちゃうんじゃないの(笑)。
どうなることやら。で、百条委員会はこれから年末くらいまでかけて、「働き掛け問題」のみならず色々調べると言ってるよ。県の人事案作成作業で使用したホテル代を僕の後援会が払ってるのは怪しいとか、住民基本台帳ネットワークへの進入実験もいかんとか、つまり何でもかんでも僕のやることはけしからんと言ってるわけ(笑)。「天動説から地動説へ── 『おばさん的発想』が日本を変える」と題する僕のインタヴューと併せて、「世界」の八月号では「知事と議会と報道と──長野県政の『混迷』を検証する」(内山卓郎)という一〇ページに亘る記事を掲載しているけど(http://www.iwanami.co.jp/sekai/)、「長野県議会の異常性はメディアの甘さによってつくられ」、「メディアと議会は、あたかも共犯関係」。「県民の生活やしあわせを度外視して、かつての官僚系知事時代への復帰を願っている」と喝破されちゃって、「信濃毎日」やその資本系列のテレビ局は動揺しているらしい(笑)。今更というか、その程度の覚悟だったの、って話だけど。
まあ、東京都の場合、石原慎太郎は、百条委で偽証したと嵌められてしまった感も否めない浜渦武生が告発されるのを避けるために彼を解任したわけだけど、僕の場合、別に恐いものは何もないからさ。

田中さんの場合、むしろ「訴えたいなら訴えてくれ」って感じだからね(笑)。
何せ、僕が就任する前の四一年六ヶ月間もの長きに亘って、西沢権一郎、吉村午郎という二人の役人出身者が県知事として君臨していた訳だ。で、その間、県議会は予算案も条例案も人事案件も、ただの一つとして否決も修正も行なっていないのね。で、僕が就任後には今議会に於ける信州型木製ガードレールの全額削除を始めとして、数えきれぬ程の予算案の削減修正でしょ、計五件の条例案否決でしょ、計一〇回一二人の人事案件の否決でしょ(笑)。目覚めたのかも知れないけど、県知事と同衾していた、それまでの寝相が悪かったのか(笑)、筋を違えた目覚め方だよね。
そういえば六月三〇日に「ミスター規制緩和」と呼ばれたヤマト運輸の小倉昌男が亡くなったでしょ。その翌日『日経産業』に森一夫が書いてたよ。普通の人は規制緩和しなきゃいけないと思ってもみんなの前では黙ってる。だけど、小倉はガンガン言う。「よくそんなにできますね」と訊くと、「国にガンガン言ってマスコミが書いてくれたり訴えられたりすりゃ儲けもんだ」と。いやぁ、けっこう僕と似てると思ってさ。議論を巻き起こすためには、それは大事なことなんだよね。彼は、長野県の外郭団体の統廃合スキームを決定する委員会の座長を務めてくれた。恐らく、それが公的な最後の仕事だったと思う。
どうして彼が引き受けたか、僕が要請に伺った時に、こう言ってた。世の中が良くなって欲しいと思って政府の委員になって、意見を言っても徒労感だよ。政府好みな女性キャスターや女性評論家が当たり障り無い意見を述べて、御用学者系の委員長が、役人が書いた台本へと持って行くから、ってね。でも、田中康夫が首長だったら、僕の提案が国民の為だと思えば、どんなにドラスティックでも実行してくれると信じるからと。これは嬉しかったね。実際、彼はグリーン車代も出ない貧乏県の委員を引き受けて、外郭団体の施設を訪れるから、一日に六時間以上も掛けて広い県内を回ってくれた。
有り難い話だよ。だけど、こうした外郭団体の見直しは、バブル期の融資を明らかにすることでもあるから、地元の八十二銀行にとっては痛し痒しだ。五輪帳簿「焼却」事件の解明を始めとして、不透明な嘗ての「長野県」を明らかにするために設置した「長野県」調査委員会は、共に五輪招致の旗振り役だった信濃毎日新聞と八十二銀行にとっては、面白くなかったりするのかもね。単なる客寄せパンダ役を演じてくれるかと思った田中康夫は実は、クレムリンならぬグレムリンだった(笑)。しかも、BtoCの時代だなんて嘯いて、県外メディアでガンガン発言しちゃうから、護送船団記者クラブで威張ってた皆々様にとっては、黒船以上に自らの地位を脅かす、不快な存在なんだろうなぁ。
「報道2001」や「サンデープロジェクト」なんぞに僕が出演する度、どうして田中康夫如きを出演させるんだ、と地元局の役員は“高言”してるらしいよ。そりゃ、申し訳ないけど、視聴率が取れるからに決まってるって(笑)。石原慎太郎と「報道2001」に出演した際も、早朝にも拘らず、県内視聴率は一一・九%の記録的数字だったよ。県内メディアが日頃、批判し続けている田中康夫の“デマゴーグ”を九〇分間も観ている県民の民度が低いのか、真実を伝えない北朝鮮状態の県内メディアだから九〇分も食い入るように観ようという民度の高さなのか、さあ、どっちかな。軽井沢在住の勝谷誠彦もウェッブ日記(http://www.diary.ne.jp/user/31174/)で記してるけど、住んでみなくちゃ、読んでみなくちゃ、観てみなくちゃ、理解できないと思うよ。山国・長野県の言論の異常さは(苦笑)。
●どうなる人権擁護法案
本誌でも言ったように、おぼっちゃんウヨクを中心とする一見クリーンなタカ派(ほんとはクリーンでも何でもないんだけど)がやたらと跋扈するなか、ダーティなハト派はホントに元気がないね。たとえば、郵政民営化法案がともかくも衆院を通過する一方で、人権擁護法案は通りそうにない。人権擁護法案は、ダーティなハト派が深くコミットしてきた同和問題や在日問題とも関係してて、同和立法が期限切れになった後の代替っていう意味ももってるわけだけど。それにしても、この法案の責任者である自民党人権問題等調査会長の古賀誠なんかも、思ったほど戦闘力がないな。郵政民営化法案をギリギリ通すとすれば、代わりに人権擁護法案も通さなきゃ、負けっぱなしじゃん。まあ、旧宏池会を再統合して橋本派や亀井派とも連携しつつ小泉=森派に対抗するっていうような布石は打ってるんだろうけど、そういう政局論自体がもう古いんじゃない?
でも、人権関連って今でも疑問を感じる予算がいっぱいあるんだよ。
ああ、もちろんそのとおりで、問題だらけだとは思うよ。
人権関連の予算って国から一〇分の一〇と呼ばれる国庫全額負担で各県に数千万円も付いてくる。みんな使いようがないから、シンポジウムをやったり、TVとかラジオの広告やポスターに注ぎ込んだりしちゃう。地方としては国から来るとなるとやらざるを得ないしさ。人権予算といっても、日本の場合は啓蒙・啓発だから、広告というかたちの箱モノ行政なんだよね。
ぼくの住んでる京都なんて、被差別問題がとくに深刻だってこともあって、大きな看板から小さなメモ用紙にいたるまで、差別をなくそうっていうスローガンだらけ。むろん、経済的な差別は緩和されてきたものの、就職や結婚に関しては差別が厳然と残ってるわけで、意識改革に向けた粘り強い努力が必要なんだけど、昔からのスローガンを自動的に繰り返してるだけじゃ、ほとんど効果がないからね。
だから長野県では人権関係の予算を新しい発想で使うんだ。たとえば今、野田正彰にハンセン病に関する委員会の長をやってもらってるんで、その報告書の予算をきちんと取ろうと。そのほうがよっぽど意味があるでしょ。
いいね。まぁ野田正彰ってのは精神科の医師なのか患者なのかわかんないような人で(精神科にはそういう人が多いけど)、前に美術教育のシンポジウムで一緒になったとき、彼が生徒参加型の美術教育の実践例を頭ごなしに批判するから、僕がトラウマを抱えた子どもに絵を描かせたり箱庭をつくらせたりする心理療法にもちょっと疑問を呈したら、急にものすごいヒステリーを起こすわけ(笑)。でも、最近再刊された昔のリビア訪問記から、JR西日本の脱線事故に関するレポートにいたるまで、なかなか勘のいいルポ・ライターであることは確かなんだ。
もちろん彼はエキセントリックな面もあるけど、そういうキャラじゃなきゃ何かを変えるなんてできないよ。
本誌で浜渦武生や佐藤優をあえて評価したように、ここでもまた毒をもって毒を制するってことか(笑)。
●自伝を書く人たち
ウォーターゲート事件の「ディープ・スロート」がカムアウトした件だけど、それより前、二〇〇三年に、事件を報じた『ワシントン・ポスト』のボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインが、段ボール七五箱分にも及ぶ当時の取材資料をテキサス大学に売ってるんだよ。「何が起き、われわれがどう取材したのかを、歴史に残す必要がある」とか言って。

へぇ。たしかに貴重な資料だろうからね。でも、寄付じゃなくて売ったんだ。
しかも売値が五〇〇万ドル。
五億円!
その話を聞いて「ディープ・スロート」であるマーク・フェルトの娘あたりは大いに感ずるところがあったんじゃないの(笑)。
実際、フェルトの元には伝記出版や映画制作の話が殺到し、契約金だけで一〇〇万ドルくらい手にしたらしいからね。
しかしアメリカって、この手の本の契約金が異常に高いよね。たしか、クリントンの自叙伝も一〇〇〇万ドルとか言われてた。英語圏のマーケットは日本語圏の何倍もあるとはいえ、元が取れるのかな。
採算が取れるのかなぁ。クリントン本は初版一五〇万部で、その後二六〇万部までいった。値段は三五ドルだけどなんとかなるのかな。
『ハリー・ポッター』の最新作みたいに、初日に世界で一〇〇〇万部売れるとかいうのなら、ぜんぜん問題ないけどね(笑)。
いやはや、バブルだよね。
そういえば、このあいだ曽我ひとみさん一家が夫のチャールズ・ジェンキンス氏の故郷に帰ったじゃない? あれも、日本の援助なんかに頼るわけにはいかないってんで、ジェンキンス氏が出版社と自叙伝を書く約束をして、その契約金で行ったらしい。実際に文章を書く米タイム誌の記者がすでに付いてるんだよね。
そうなんだ。たしかに波瀾万丈の人生ではあるからね。
しかし、現代のディープ・スロートってことでは、やっぱり本誌でも触れたカール・ローヴ問題が最大のトピックスだな。なにしろ、ローヴといえばブッシュの政治戦略を中心になって担ってきた人物でしょ。それこそ「ブッシュの中の人」っていうか、去年の大統領選挙のTV討論でブッシュが背中に受信機をしょってるんじゃないかって言われた、誰かがそれでプロンプターを務めてたとすればローヴこそが第一候補だからね。むろん、ウォーターゲート事件とは違って、ローヴはブッシュのイラク政策を批判した元外交官をやっつけるためにその妻がCIA工作員であることをバラしたわけだ。今までにもブッシュ陣営では似たようなことはあって、一九九四年のテキサス州知事選で対立候補のアン・リチャーズがレズビアンだっていう噂が流れたり、二〇〇〇年の大統領候補指名競争で対立候補のジョン・マッケインが精神的に不安定で妻が薬物中毒だっていう噂が流れたり、誰がそれを流したかはまぁだいたいわかってた。でも、ローヴがバラしたってことが公けになったのは初めてだからね。ブッシュ政権にとってこれからけっこう大変なことになるかもしれない。なにしろ「中の人」が外へ引っ張り出されちゃったわけだから(笑)。
●「おことば」をめぐって

本誌でも島田雅彦が皇室の発言を集めて注釈した『おことば』に触れたけど、島田ってどうしてああいうことをやりたがるの? 『無限カノン』三部作ってのがすでに皇室にかかわるものだったわけでしょ?
島田雅彦は高円宮と少し付き合いがあったってこともあるけど、そもそも三島由紀夫のパロディみたいな形で登場したわけだから、『豊饒の海』──とりわけ第一作『春の雪』で描かれる皇室に嫁ぐ女性との禁断の恋みたいなのを、『無限カノン』でアメリカとの関係も取り入れつつ変奏してみたかったんじゃない? 幸か不幸か、『無限カノン』は右翼からの攻撃にさらされるほどにも話題にならなかった。ただ、皇室に入った女性の孤独を描いてて、最近の皇太子妃問題を予告してたことは事実なんだよね。そういうこともあって、皇室がある意味でリベラルな発言をしてきていることに焦点を当てた『おことば』を出したんじゃない?
ふーん。
ただ、島田雅彦はまだリベラルなほうでさ。原武史なんてのはひどいよ。愛すべき鉄道おたくだから、近代の皇室に関する資料を地道に収集・分析してる分にはいいんだけど、三島由紀夫に対する橋川文三のような位置を島田雅彦に対して自分が占めたいなんて、そんなの絶対無理だって。で、何を言うかと思ったら、島田雅彦は皇室のパブリックな発言だけを問題にしてるけど、もっと重要なのは宮中祭祀であり、そこで発せられる非公開の「御告文」の類である、三島由紀夫はその辺がわかっていたからやっぱりすごい、と。それで福田和也なんかと『VOICE』で意気投合してるわけ。で、今の天皇は祭祀を重視して、どんな神職より厳格に務めてるのに、島田雅彦を含め「現天皇をたんに護憲派リベラルと見なす言説」が横行してるのはけしからん、と。それでいけば、皇太子夫妻はたんに甘えてるってことになるわけだ。いいよ、それだったら天皇家は伊勢神宮かどっかの宮司にでもなってやっていけばいい。しかし、皇太子妃までその犠牲になる必要は絶対にない。やっぱり、天皇制は廃止しかないと思うな。
●金沢のマシュー・バーニー
六月末日に京都造形芸術大学でスーザン・ソンタグ追悼シンポジウムがあって、木幡和枝や僕もしゃべったんだけど、坂本龍一と高谷史郎のユニットが短いパフォーマンスをやって、それはなかなか感動的だったよ。アルヴォ・ペルトの「鏡の中の鏡」にさまざまな音を重ねながら、ソンタグのポートレートや引用を配した映像を彩っていく……。
実は、このユニットは、前日に京都の法然院でもライヴをやったわけ。ジョン・ケージの龍安寺のエレクトロニカ版って感じかな。梅雨の暮れ方、環境音楽風のミニマルな音響とそれに対応した映像が、カエルの声やししおどしの音、だんだん暗くなっていく庭の光景と、絶妙に照応してたと思う。カエルなんて一定の周波数の音に反応している感じで、だからけっこう意図的な「インタープレイ」ができるわけ。観客が一〇〇人ちょっとしか入れない、とっても贅沢な体験ではあった。
坂本龍一は七月後半から日本ツアーをやるわけだけど、実は大規模なコンサートよりこういうちょっとした実験のほうが好きなんじゃないかな。
で、ソンタグ追悼シンポジウムの翌日、金沢21世紀美術館で、「マシュー・バーニー:拘束のドローイング展」(http://www.kanazawa21.jp/barney/index.html)ってののオープニングがあって、行ってきたの。
ゲロゲロ、あそこの館長の蓑豊ってちょっと問題じゃない?
大阪市立美術館の館長を務めながら、金沢21世紀美術館の館長を兼任し、さらには金沢市の助役にまでなっちゃったっていうんだから、推して知るべしでしょう。とにかく、美術館・博物館の独立法人化・民営化こそ活性化のチャンスだとかいって、妙にはしゃいでるわけ。去年も兵庫県立美術館で21世紀の美術館の在り方をめぐるシンポジウムがあって、彼が「これからの美術館は集客も必要だ」とかなんとか、民営化論の紋切型のようなことを言った。それに対して、建設中のイタリア国立21世紀美術館の館長のパオロ・コロンボが「いや、美術館というのは、観客のためじゃなく、まずもって作品のためにあるんだ」って言ったわけよ。今の大衆に評価できない作品があったとしても、それを後世に伝えることこそが美術館の使命だってことなんだろうね。で、蓑が「しかし税金を使っているのに集客を考えないわけにはいかない」って言ったら、コロンボは「いや、税金を使っているからこそ、営利組織のように集客のことばかり考えず、美術館本来の使命を果たせるのだ」って言ったわけ。さすがでしょ。
当然だよね。そのローマの館長の言うかたちでやって、それで人も集まりゃいいかもしれないけどさ。

前も言ったように、独立行政法人化された京都国立博物館で『スター・ウォーズ』展をやって、ふだん来たことのないような若い年代がたくさん来てよかったとか言ってるんだけど、会期を考えると雪舟展や空海展のほうが相対的に観客数が多いんで、それだったらまともな展覧会をやったほうがずっといいっての。まあ、『スター・ウォーズ』展をやった狩野博幸は、こないだ『曾我蕭白展』なんていう江戸時代の無頼の画家の大展覧会もやって、「円山応挙が、なんぼのもんぢゃ!」っていうコピーは例によって悪ノリと言うほかないものの、それなりに興味深いものではあったけどね(http://www.kyohaku.go.jp/jp/tokubetsu/050412/tokubetsu.html)。
まぁ、普通の人は国立博物館で『スター・ウォーズ』なんか見たかないよね(笑)。
むろんヨーロッパでも民間資金の導入が求められていろいろ問題が起きてるとはいえ、日本ほど民営化路線に狂奔してるわけじゃない。ただ、アメリカは問題だよ。一応、ワシントンのナショナル・ギャラリーやなんかはロンドンのナショナル・ギャラリーと同じく無料ってことになってるし、ニューヨークのメトロポリタン美術館でも原則として入場者が好きな額をヴォランタリーに寄付することになってる──むろん標準額が掲示されてて、みんな大体それだけ払うんだけどね。ところが、こんど、久しぶりに古代エジプトのツタンカーメン王の展覧会をやることになった、これが前回と違って巨額のカネをエジプトに払う契約なんで、高額の入場料を取らなきゃいけない。それで、とりあえずロサンジェルス・カウンテ美術館でオープンしたんだけど(http://www.lacma.org/)、メトロポリタン美術館なんかには巡回できないわけよ。でも、今後、美術の商業化が進むとしたら、無料とか、寄付とか、そんなことは言ってられなくなるんじゃないかな。
なるほど。
ともあれ、金沢でのマシュー・バーニー展の話に戻ると、キュレーターの長谷川祐子が頑張って、良かれ悪しかれ刺激的な展覧会にはなってると思うよ。バーニーって歌手のビョークとカップルなの。で、バーニー自身これまで『クレマスター』っていう連作映画を撮ってきたんだけど、今度は自分とビョークが日本で倒錯的な婚姻の儀式みたいなのを演ずる『拘束のドローイング9』っていう映画を一〇億円以上も使って撮ってて、昔の作品と合わせ、その映画のスチールや派生したオブジェを展示してるわけ。それこそ『スター・ウォーズ』の小道具や意匠を美術館で見せられるようなところもあって、映画を見てないとちょっと問題だけど。
その映画も上映してるの?
うん、上映会もあったんだけど、茶道(洗練された形式)と捕鯨(血塗れの解体)の両極を合体させ意図的に歪曲した独自の日本像の上で、自分たちの倒錯的な婚姻の儀式が展開されるわけね。映画なら一五分ですみそうなところが一五〇分もあって、退屈といえばものすごく退屈、でも、すべてのシーンが凝りに凝ってて、つい見ちゃうんだな。バーニーとビョークが日本にやってきて、なぜか捕鯨船に乗り込むと、勝手なイメージで作り変えた擬似日本的な装束(毛皮のキモノとか)に着替えさせられ、船内の茶室に招じ入れられる。そこでも、茶碗も貝、茶筅さえ骨貝だったりするわけね。それが二人の婚姻の儀式みたいになる。で、二人だけになったあたりで、嵐になって、茶室も浸水し、そこでお互いに水中の下半身を鯨用のノコギリで切り刻んだあげく、人魚にでもなるのかと思いきや、どうやら真珠の輪になって永遠化されるという、訳の分からないトンデモ映画(笑)。まったくプライヴェートな幻想をここまでの手間と予算をかけて映像化し公開するってのは、しかし、すごいといえばすごいな。日本の海女の息とアイスランド生まれのビョークの歌が重なるところとか、宮田まゆみが背中も露わに笙を奏でるところとか、音楽もけっこう面白いし。
なんでそんなにお金があるんだろう。
アート・マーケットはこのところまた投機熱に浮かされてて、バーニーの作品もものすごく高くなってるからね。だから、画廊が映画のプロデュースを買って出たわけ。まあ、富を得て贅沢もできるのに、それをこんな作品に使っちゃうっていうのは、面白いっていえば面白いんじゃない?

なるほどね。
とにかく、マシュー・バーニーとビョークっていうカップルは、今やアート・シーンとポップ・シーンを結ぶスターなわけ。たまたま翌日に幕張で「ライヴ8」に出演することが急に決まったんでビョークはオープニングに来れなかったんだけど、まあ金沢とは思えないくらい派手なオープニングではあった。画廊をやってるゲイのカップルと一緒に鈴木京香が歩いてたり(ちょっと場違いな、でもなかなかセンスのいいシャネルのスーツを着てたから、「ああ、こういう服ってこういう人のためにあるんですね」なんて歯の浮くようなことをついつい言っちゃったけど)、お土産にTシャツを買ってたら石岡瑛子に「あら、浅田さんがこんなTシャツを買うなんて」って嫌味を言われたり。それがいま着てるTシャツなんで、まあ石岡チェンチェイには返す言葉もないってとこだな。とにかく、マジメな話に戻れば、ぼくはこういう流行のアートを必ずしも支持しないんだけど、金沢みたいなところにポップ・アートの先端を導入し、普通は来ないような人も来るようにする、それだけでもまあ良かったんじゃないかな。
●『宇宙戦争』と『スター・ウォーズ』
他方、大衆娯楽映画といえば、何といってもスティーヴン・スピルバーグの『宇宙戦争』(http://www.uchu-sensou.jp/top.html)とジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズエピソード3』(http://www.starwarsjapan.com/episode-iii/index.html)だけど。
いや、たしかに大衆娯楽映画なんだけど、両方ともある意味ではかなり面白いと思うよ。『宇宙戦争』は9・11の影を色濃く帯びてて、マンハッタン南部をはじめ、世界各地に宇宙人が襲来する、これがめちゃくちゃに強くて、コミュニケーションのしようもないまま、人間は一方的に害虫のように駆除されていくわけ。もう、容赦ない惨劇のシーンのオン・パレード。で、主人公のトム・クルーズは、別れた妻のもとに子どもたちを送り届けようとする、そのとき、ただひたすら逃げるだけで、地下抵抗運動を主張して娘を危険にさらしかねないと判断した男を殺しさえするってのは、ちょっと面白いね。普通だったら、主人公をはじめ人間たちが最初の敗北を乗り越えて反撃するわけだけど、そうじゃないの。最終的に宇宙人は地球の水にあたって──っていうかゾウリムシみたいな微生物にやられて、唐突に死んじゃうだけ。H・G・ウェルズの原作がそうなんだけど、ストーリーとしてはめちゃくちゃ。でもまあ、スピルバーグってもともと、意味もなくトラックが追いかけてくるとかサメが追いかけてくるとか、それだけで映画を撮っちゃう人だからね。『未知との遭遇』や『ET』の徹底したネガになってるところも面白い。見上げるのと、見下ろす(顕微鏡で覗くことも含め)のと。善意の宇宙人が上から降臨するのと、悪意の宇宙人が下から出てくる(太古の昔に埋めておいた三本足のトライポッドを操って)のと。このトライポッドってのは「三脚」でもあって、そこからキャメラのレンズが伸びてくる、それを鏡の陰に隠れてごまかしつつ、扉の向こうの見えない場所で地下抵抗運動を主張する男を殺すあたりも、なかなか面白い。総じてやけくそといえばやけくそだけど、妙にストーリーをまとめようとしてない分、映像の迫力が存分に発揮されてて、映画としての評価は別に、とにかく面白いんじゃないかな。ちなみに、『シンドラーのリスト』の監督でもあるスピルバーグは、ミュンヘン・オリンピックでイスラエル選手が殺されたテロと、イスラエルの特務機関による報復をテーマにした新作の撮影に入ってるらしくて、いまものすごくセンシティヴなテーマだけに、お手並み拝見ってところだね。
なるほど。
他方、『スター・ウォーズ』ってのは、マンガ的でありながら武道めいたものを取り込んだ世界観がどうも好きになれなくてほとんど興味がなかったんだけど、エピソード3は、シリーズ最終作とあって、ルーカス自身が監督に乗り出し、なかなかの力作に仕上げてる──っていうか、ルーカス・フィルムのオタク軍団がCGや何かでめったやたらに素材をつくっちゃったんで、視覚効果のてんこ盛りになって、編集に困ってる感じさえするけどね。ともかく、シリーズ4〜6作(エピソード1〜3)がアナキン・スカイウォーカーを主人公とする前史で、その前に撮られてた1〜3作が息子のルーク・スカイウォーカーとダース・ヴェーダーの戦いの歴史なんだけど、エピソード3を見ると、恋人が妊娠したことを知ったアナキンが、愛する者を守ろうとするあまり、闇の力に接近し、結局、ダース・ヴェーダーになってしまう、つまり、ダース・ヴェーダーが実はルークの父親だったって話になってるわけ。そのことと平行して、民主主義を守ろうとして民主主義が変質し、共和国が帝国に移行しちゃうってあたりは、露骨なブッシュ&アメリカ帝国批判でもあるわけだ。まあ、大衆映画としてはなかなかのものじゃないかな。とにかく、美術館じゃなく映画館で観るべき映画だってことは疑いない。
なるほど。しっかし、浅田彰の博覧強記は畏るべしだぜ(笑)。
まあ、クリント・イーストウッドの『ミリオン・ダラー・ベイビー』のような古典的完成度を備えた映画がまだ撮られてることのほうが驚きなんで、スピルバーグやルーカスはすでに映画ってものが崩壊しちゃったところから始めてる。その意味でも、しかし、彼らの作品はなかなか面白いんじゃないかな。
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