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●フランスの小さな村の輝き

このあいだイヴ・デュテイユという人が知事室に来たんだ。フランスのシャンソン歌手で、パリの郊外にある人口五〇〇人のプレシー・シュル・マルヌ村の村長もやってる人なの。非常に面白い人物だったな。
村には河川敷があって、そこに許可なしで家を建てて住んでる人がいた。でも河川敷なんで洪水がしょっちゅう起きる。そこで、土地を没収したり住民を追い出したりせずに、徐々に転居させていったわけ。そうして川岸も自然に戻していった。この洪水対策で彼はマリアンヌ・ドール賞という市町村長に贈られる賞を受けてるんだ。
もう一つ面白いのは教育の話。この町には子供が一二〇人ぐらいいるんだけど、学校に給食がなかった。だから、パリ市内に働きに行く共稼ぎの人なんかは子供を通勤途中の他の町の学校に行かせてた。そこで彼は近くにある二つの村と共同で給食センターならぬ「給食堂」をつくるんだ。そしてバスを買い、子供たちはそのバスで昼食を給食堂まで食べに行くというかたちにしたわけ。日本じゃ給食の時間は四〇分しかないし、コストカットといって給食センターでつくってから各学校に配送する。当然、調理した人の顔がわからない。だから残す子も多くなる。けど、イヴ・デュテイユ村長の村では昼食に二時間かけても給食堂に行く。これはすごいことで、子供にきちんとした思い出が残るよね。そうして子供はその村に住み続けたくなり、一旦出て行っても戻ってくる。それが大事だと彼は言ってるんだ。
さらに興味深かったのは保育の話。村では学校を充実させたけど、教員は夕方には帰ってしまう。そこで若い連中やNPOが来て校舎を使って学童クラブをやってるんだって。あるいは六〇歳以上の元気な老人に、共稼ぎの人が互いの信頼に基づいてゼロ歳から三歳の子供を預ける。施設ではなく家庭的な環境で見るべきだということでね。で、それに対して村がサラリーを払うんだ。この柔軟性に比べて日本だと保育園は共稼ぎでなきゃダメだとか杓子定規なんだよね。やっぱりフランスは、個人があって、コミューンがあって、そして、ラ・マルセイエーズなんだよね。日本とはまったく一八〇度異なる考え方。

五〇〇人ぐらいの小さい村だから、そこまできめ細かくやれるとも言えるね。
もちろんそう。小さい村だからこそ、赤ちゃんを預けるお婆さんの顔もわかるわけだしね。
やっぱりそういうのが地方自治の基本でしょう。日本みたいに大型合併で効率化しさえすりゃいいってのは、まったく間違った発想だと思うな。
●原辰徳監督辞任の不思議
しかし原辰徳監督辞任って、巨人はどうするのかね、これ。
ナベツネって、たんなる癇癪もちの老人になっちゃったんじゃないの(笑)。
馬鹿の壁だよね、はっきり言って。こんなことやられたら日本テレビも讀賣新聞も困るだろうに。もう一年やらせてダメならともかく、去年は優勝してるわけだからね。
そう、リーグ優勝して、日本シリーズでも四連勝で勝ったわけでしょ。本当は、そうやって若々しくデビューして一回勝ったあと、次の年には一敗地にまみれ、その次の年にまた復活するっていうストーリーが大衆受けしそうなのに。
非常にわかりやすいドラマを来年演じるチャンスを逃したってことだ。
日テレ会長の氏家なんかは当然留任と思ってたはずだよ。
当たり前だよね。何なんだろうナベツネって。
ただ自分が威張りたいだけの気まぐれ老人じゃない? でも、自分のおカネで球団をもってる真のオーナーじゃなく、ただのサラリーマン経営者のオーナーなんだから、あれほど会社や球団の利益を損ねることをやっていいのか。しかも、自分を批判する相手を「敵性メディア」だなんて、つい昔の共産党用語で呼んじゃうあたり、さすがは共産党からの転向者。
これ以上、讀賣の部数が増えると独占禁止法違反だから、少し部数を減らそうという考えかも。だとしたら、流石は計画経済の共産主義の洗礼を受けた人物らしい(笑)。まぁかわいそうなのは原。一般市民は圧倒的に原に同情でしょう。巨人ファンもアンチ巨人ファンも。
それでまた、うまくやりそうなやつを後任に選ぶんだったら、江川卓にすべきじゃないの? 原に代わってヒール役で登場すれば、一応ドラマになる。
江川だったら、まだわかるよ。何で堀内なのか。自分自身で「何で選ばれたかわからない」とか言っちゃったりして。
プリンス原が足蹴にされ、代わりにヒール江川が出てきて、それで来年星野と闘えば、盛り上がったんじゃないのかな。
ホントだよ。
原の最後の試合が甲子園だったんで、星野が自ら言い出して原に花束を渡した。さすがにナベツネの百倍は人心収攬術を心得てるね。

●ポピュリズムに染まるニュース番組
いよいよ久米宏が「ニュースステーション」を降板する。でもテレビ朝日もダメだよな。後任が古舘伊知郎なんて全然センスないよ。「噂の眞相」でも早速、特集を組まれて、馬鹿にされてる(苦笑)。
久米宏って、主婦の目線に徹するところがすごかったからね。古舘伊知郎ってのは、基本的に体育会系のスポーツ・アナウンサーだからさ。
社会的な感覚はないよ。古館は、単なる男の愚痴レヴェルだから。
プロレス中継はおもしろい。だからといって普通のニュースを幅広く伝えられるのか。しかも、相方が久保純子という説も出てるからね。ホントだとしたらもう最悪(笑)。
それならNHKがもうちょっと硬派なニュースを一〇時台にやりゃあ、そっちのほうが視聴率が取れちゃうかもしれない。大体、テレ朝は番組審議会に幻冬舎の見城徹なんかを選んでて、彼は「一〇時台にニュースがあるのがおかしい」とか言ってるらしいからさ。石原慎太郎マンセー報道番組だったら、ヨダレを垂らして賛成するだろうけど(笑)。
NHKも、前に海老ジョンイルこと海老沢勝二会長が「『ニュースステーション』打倒のためには堀尾君がいい」とか言って、堀尾正明なんて芸能アナウンサーにニュースをやらせちゃった、それが敗北したあとの後始末で今みたいなザマになってるわけだよ。どうもポピュリズムというのはスポーツか芸能にいっちゃうんだな。もちろん久米だってポピュリズムだったわけだけどさ。
彼ももともとは芸能だったからね。まぁラジオの人だともいえるけど。
一方「News23」の筑紫哲也は、ほとんどロレツが回ってなくて(笑)、だんだん好々爺みたいな感じになってきてる。それにしても、久米と筑紫で最低線を守ってきたのが、いよいよ崩れていくという感じだね。
●死刑よりも終身刑を!
大阪教育大学附属池田小学校で起きた児童殺傷事件の宅間守被告だけど、死刑が確定したね。
もちろん宅間はとんでもないよ。だけど事件のあった校舎を改築・新築してるなんてのは本末転倒だよね。どう考えてもおかしいでしょ、子供たちが怖がるから校舎を建て直すなんて、相変わらずのハコモノ発想。だったら、もっと優秀なカウンセラーを置くとか、そういう方向で考えるべき。まぁ、カウンセラーにどれほどの力があるかは別の話としても。
監視・通報システムを強化するってのも、ある程度までは必要だろうけど、それこそきりがなくなるからね。宅間みたいな人間も例外的には存在するわけで、すべての例外に対して完全なセキュリティを確保するなんてことは不可能なんだ。もちろん、亡くなった子どもたちは本当に気の毒だと思うし、生き残った子どもたちにも手厚いケアが必要だと思うけど、最終的には、トラウマ的な記憶の跡を消したり隠したりするんじゃなく、それを踏まえて生きていくこと、「開かれた学校」という方向を守り、技術的にじゃなく社会的にセキュリティを確保していくことが重要なんだ。
教育の実験校のはずが、税金を使った受験の実験校になっていて、それに対する嫉妬や嫌悪が事件の遠因でもあった訳だ。この際、廃校にして、地域の学校に戻るか、私立の学校に行かせるべきだよ。そのほうが、阿呆らしい独立行政法人化よりも先の話だね。

しかし、宅間のほうも、弁護団が控訴したのを取り下げて死刑を確定させ、六カ月以内の早期執行を要求するってんだから、すごいやつだね。
前法相の森山真弓だったら宅間の希望はすぐ実現されたでしょ(笑)。だけど今度の野沢太三はどうだろうな。でも、本人が早く執行してくれって言う場合、希望は聞き入れないのかね?
森山は在任中に三人も死刑を執行した。これは近年の法相では最多記録なんだよね。以前、亀井静香チェンチェイが、自ら会長を務める「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーとともに森山のところに抗議に行ったんだけど、「法律どおり粛々とやるだけですから」とニベもなく断られた(笑)。
そりゃ法律に書いてあると言われりゃ反論しにくい。
だけど普通の法務大臣はやっぱり嫌だからハンコを押さないんだよね。そういう意味では森山は偉いといえば偉いのかも(笑)。ただ、ヨーロッパは第二次世界大戦後だいたい死刑を廃止したから、いわゆる「先進国」でいまだに死刑があるのはアメリカと日本くらいなんだよ。実際、宅間みたいなやつにとって、死刑はある種の救いなんで、逆に反省するまでいつまでも生かしとくほうがこたえるんじゃない(笑)。無期懲役じゃなく、ホントの終身刑ね。あるいは、アメリカみたいに量刑を加算して懲役二〇〇年とか。
●非転向の死者たち
パレスチナ問題で発言を続けてきたエドワード・サイードが死んじゃったね。
そう、いちばん悪いときに死んだと思う。
現在のイスラエルとパレスチナの情勢を見れば、言いたいことはいっぱいあっただろうに。
いつも言うことだけど、イスラエルのシャロンは最終的にあそこをどうしたいのか。
まったくわからないね。そりゃ、OSの古い活動家であるアラファトに問題があるのは確かだろうけどさ。
そう、だけどアラファトを無理に下ろしちゃったら、ハマスみたいな過激派がぼろぼろ出てきて、ますます手がつけられなくなるだけでしょ。それこそホロコーストでもしなきゃ、おさまりがつかないよ。
しかし、サイードも一時はアラファトのアドヴァイザーみたいなことをやってたんだけど、オスロ合意よりはるか前に見切りをつけたわけ。結局、アラファトはテロ組織の頃の指導者で、民主主義的なやりかたを理解してないし、そもそもアメリカの政治過程を理解してない。だから、イスラエルもダメだけど、アラファトもダメだ、と。それは正論だったんだけど、それに代わりうる受け皿がイスラエル側にもパレスチナ側にも未だにできてないのが悲劇なんだよね。最後は、パレスチナ国家を樹立するだけじゃなく、パレスチナ人とユダヤ人の共存する二民族国家をつくらなきゃいけないっていうのも正論だけど、現状からするとあまりにユートピア的だし。
でも、日本のマス・メディアにおける彼の死の扱いにも驚いたな。なんと「讀賣」が大江健三郎と柄谷行人に追悼エッセーを書かせてるわけ。もうひとり、池内恵が、西欧化した知識人のサイードはアラブ諸国では浮いちゃってたっていうレポートも書いてて、そんなのは当然想像のつくことでしかないとはいえ、それも含めてバランスはいい。なんだか「朝日」みたいでしょ。他方、「讀賣」のようになりたいらしい「朝日」は、翌日にサイードを訳してる英文学者のエッセーをひとつ載せただけ。

信じられないね。結局、「讀賣」の学芸部に鋭い勘性の記者がいて、突っ込んだってことだろうね。「讀賣」の外報部が面白いのと同じで、個人でそういうことをやるセンスのあるやつがいるかいないかって話なんだな。
他方、レニ・リーフェンシュタールは、なんと一〇一歳で死んだんだね。ヒットラーの愛人だったとか言われてたくらいだから。
ベルリン五輪の記録映画『民族の祭典』を撮った女性監督ね。でも、「あのとき私はそれを撮るしかなかった」なんていってたのは、やっぱり逃げじゃないの? それじゃあ「私はそのとき人を殺すしかなかった」と言ってるようなもんだぜ。
逆に言うと、非転向を貫いたという感じはする。彼女は戦後アフリカに行ってヌバ族の写真を撮るんだけど、アーリア人が黒人になっただけで、生のエネルギーに満ち溢れる強く美しい身体を撮り続けた、逆に弱さや病いや死は一切無視したという点で、一貫してるわけ。
最近、シネセゾン渋谷で四八年ぶりの新作映画や彼女のライフドキュメント映画が上映されてる。
そう、『アフリカへの想い』っていうドキュメンタリーのほうはなかなか面白かった。彼女が九八歳になって、三〇年前に撮ったヌバ族の村を再訪するわけ。するとそこはスーダンの内戦でめちゃめちゃになってて、しかもイスラム教が入ったために村人はボロを着せられてる。あれほど生き生きと輝いてた美しい裸体はもはやどこにもない。それでも彼女は再会した村人と抱き合うわけ。しかも、銃撃があったためにヘリで逃げ出すことになり、しかもそのヘリが墜落して、彼女も骨折で入院しちゃう。それでも、最後に言い残すとしたら何を言いたいかっていうインタヴュアーの不躾な質問に対して、彼女は言うわけ、大事なのは何があろうと人生に「イエス」と言うことだ、と。いや、徹底した非転向ではある。
他方、マッカーシーの赤狩りのとき仲間の共産主義者の名前を出したっていうんで転向者の烙印を押されたエリア・カザンも九四歳で死んだけど、彼の映画は転向経験のあと陰影を増したって感じがするな。日本文学なんかにもあったことで、安易にそれを評価するのも問題だけど。
あと死んじゃったといえば元漫画家の青木雄二。まだ若かったのになぁ。五八歳だって。
そうだね。彼こそ非転向の正統的マルクス主義者だったのに。
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