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トップ ■ 連載 第十三回「続・憂国呆談」番外編Webスペシャル
 2003年8月号

憂国放談    ............... ■ 生命絶対視の風潮に対する疑義、さらには、アートや文学における生き残りの問題について田中康夫と浅田彰が過激に語る!
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無意味な「延命」は是か非か?


●「よく生きる」ということ

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浅田 彰 本誌でも触れたけど、長崎みたいな事件が増えてくると、監視社会になるのも仕方がないって話になる。フーコーやドゥルーズの言葉を借りれば、ディシプリン(規律訓練による価値の内面化)の社会からコントロール(監視・管理)の社会への移行だね。ディシプリンが機能不全に陥っている以上、セキュリティのためにはダイレクトな監視が必要だ、生命がかかってるんだからプライヴァシーもクソもない、と。
 もちろん、一方では、生命は絶対的に肯定されるべきなの。優生学的にいえば、たとえば障害児が生まれないように事前に遺伝子チェックして淘汰したほうがいいとかいうことになるんだけど、そうじゃない、どんな障害を持ってても、単に生きてること自体が価値なんだ、と。その点は確認しておかなきゃならない。
 にもかかわらず、じゃあ単に生きることが絶対的価値だってことになっちゃうと、それを守るためには何でもありになるわけでしょ。生命を脅かす犯罪が続出したらどうするか。自由とかプライヴァシーとか言ってる余裕はない、とにかく監視しろ、と。

田中康夫 なるほど、逆説的だよね。

浅田 彰 昔は自由を獲得するためには死をも恐れない時代があった。今もそういう国はある。だけど、今の日本みたいに一定の自由があらかじめ与えられてて、それで生命が絶対的価値だってことになると、自由は失われるんだよ。

田中康夫 逆にいえば日本も江戸時代みたいに自由がない時代のほうが気概があったよね。長野県の飯田に黒田って集落があって、大昔から人形浄瑠璃をやってたんだけど、江戸時代に殿様が上演を禁止したの。すると村人たちがふざけるなと言って、止めるどころか檜の舞台をつくっちゃったんだよ。すごいよね昔のほうが。打ち首かもしれないのに命懸けでさ。
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浅田 彰 そう。で、生命が絶対だってことを別の方向へもっていくと、医療技術が進めばいくらでもムダな延命治療をしちゃうことにもなる。いや、ムダって言えるかどうかは難しいよ。だけど、どう見ても自宅の畳の上で死んだほうが幸せなのに、病院のベッドでスパゲッティ症候群と言われるぐらい管を突っ込まれて何カ月か延命させられちゃう、ほんとにそれでいいのか、と。ついでに言うと、そのあいだに病院がものすごく医療費を稼ぐことになってるわけだしね。もちろん、こういう問題はまずもって自分の問題としてしか考えられないんで、僕だったら、治療不可能で苦痛を伴う最終段階にきちゃったら、無駄な延命はやめて、さっさと殺してもらいたいと思うわけよ。
 結局、「人間として生きる」ってことには、「人間らしく死ぬ」ことも含まれるわけだからさ。単に生命が絶対だって言ってると「人間らしく死ぬ」ことさえできなくなる。だから僕は、人間らしく、自由に伴うリスクは引き受けながら、しかしあくまで自由に生きる、そして最後は無意味な延命を拒否して自由に死ぬのがいいと思うな。そういう意味じゃ、長野みたいに在宅医療重視でいくってことも重要だと思うよ。
 二〇世紀前半、ナチスが優生学的発想からユダヤ人のみならず障害者も虐殺しちゃったこともあって、二〇世紀後半は、とにかく生命は絶対だ、絶対に延長すべきだってことになってたけど、二一世紀は「よく死ぬ」ことも含めて「よく生きる」ことを考えていくべきなんじゃないか。僕は個人的には安楽死(「尊厳死」っていう言葉はきれいごとに過ぎると思うから)を合法化すべきだと思うし、自殺幇助の合法化すら考えていいと思う。っていうか、たとえば末期がんになった場合、金持ちなら安楽死の合法化されてるオランダやスイスに行って死ねるってのは、どうみても変でしょ。
 むろん、これはものすごく微妙な問題なんで、患者の意志の確認に関しては慎重の上にも慎重を期すべきだし、ちょっとでも長く生きたいと思う人の意志がそれで少しでも妨げられることがあっちゃいけないよ。だけど、もう十分だ、自由な意志で死にたいって人がいたら、それを妨げることもないからね。
 とにかく、フーコーの言葉でいえば、価値を内面化した主体にかかわるポリティクスの時代から、生身の身体にかかわるバイオポリティクスの時代に移行してきたわけで、そこで「生命が絶対だ」「セキュリティが絶対だ」とばかり言ってると、最後には巨大なコントロール・システムの内部で仮想現実の夢を見ながら生かされるだけってことにもなりかねない。それこそ映画「マトリックス」の世界のように。
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●アートの悲しい戦い

浅田 彰 新国立劇場のオペラ部門でもめてるみたいだね。

田中康夫 芸術監督に招こうとしたトーマス・ノボラツスキーっていう外国人が、ダブル・キャストをやめて外国人のスター歌手だけでいくと言ったのに日本人歌手たちが反発したんだよね。日本の場合、オペラをやる人たちはダブル・キャストになることで食い扶持を分け合ってたわけだからさ。
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浅田 彰 そもそも日本にオペラ劇場なんかつくる必要はなかったんだけど、どうせつくるんなら、最低でも小澤征爾を芸術監督にするくらいの水準でやるべきだった。そうすれば、一応、国際的なキャスト、しかも新しい演出でやれたはずだよ。最高ではないにせよ、一応は世界的な水準でね。
 ところがそれより下に、世界で年寄りの金持ち連中が喜んで観るような古色蒼然たるオペラの水準がある。ヴィスコンティをぐっと大衆化したゼフィレッリとか、死んだ兄のヴィーラントと違って演出家としてはどうしようもないのに単に血縁でバイロイト・フェスティヴァルを支配してきたヴォルフガング・ワーグナーとかね。ノボラツスキーってのは、そういうところとつながってるやつなの。まあ、ミュージカルで言えば、「やっぱりブロードウェイってすごいのね」みたいなおのぼりさんレヴェル(笑)。
 ところが、日本には二期会とか藤原歌劇団とか、さらにひどい水準の連中がいる。そういう連中が発表の場を確保しようとしてつくったのが新国立劇場だったのに……。

田中康夫 それをブロードウェイや劇団四季のレヴェルが奪っちゃった、と。

浅田 彰 うん、そういうとても悲しい戦いなわけよ(笑)。それに比べて、石原慎太郎が小澤征爾を中心に東京でオペラ・フェスティヴァルをやろうと言ったり、長野でサイトウ・キネン・フェスティヴァルをやってたり、僕はやっぱり今やるならそれが最低レヴェルだと思うな。
 しかし、小澤征爾だって限界はあるんだよ。ウィーン国立歌劇場の音楽監督になって最初に上演したのがクシェネクの「ジョニーは演奏する」だった。もちろんジャズを取り入れた二〇世紀の新しいオペラをやるってのはおもしろいことだし、僕はどちらかというと応援するけど、しかし、インサイダー的に言えば、なんて臆病な戦略なのか、と。モーツァルトやヴェルディで始めたら、過去の巨匠たちと比べられちゃうからね。

田中康夫 小澤もいずれはモーツァルトやヴェルディをやらざるを得ないんだろうけど。

浅田 彰 最終的にはあまりよくない評判で終わるんじゃないかな。結局、彼は本当の「巨匠」じゃない、良かれ悪しかれ愛すべき努力家なんだ。とはいえ、そのレヴェルとブロードウェイ的なオペラのレヴェルは違うし、それと二期会みたいなレヴェルはまたぜんぜん違うからね。でも、ホントは、パリのバスチーユ・オペラのトップだったことのあるチョン・ミュンフンあたりを音楽監督に招くのがよかったと思うな。小澤征爾よりは若いけどすごく優秀な指揮者だし、そもそも日本が韓国人をオペラ座のトップに招くって政治的にも悪くないじゃない?
 あるいは、前世紀末にフランクフルトを世界的なバレエの中心地にしたウィリアム・フォーサイスが追い出されそうになってるから、彼にバレエ部門の全権を委ねて好きなようにやらせるとか。そうしたら世界中のトップ・ダンサーが東京に集まってくることは疑いない。とはいえ、世界的にみても、ブロードウェイ的なものが喜ばれるようになってきてはいるんだな。ボブ・ウィルソンとか、ピーター・セラーズとか、ああいう演出家のひとりよがりの実験はもういい、フォーサイスの実験ももういい、多少古臭くてもゴージャスな舞台で楽しみたい、と。今年はフランスの夏のフェスティヴァルが労働者のストで軒並み中止になっちゃったけど、二〇〇〇年前後に最後の盛り上がりを見せたあと、いよいよ淘汰の波――ってことは保守化の波が押し寄せてきてるのかね。

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田中康夫 グローバル・マーケットで通用する商品というと、結局、ブロードウェイ・ミュージカルとかハリウッド映画みたいなものになっちゃうんだろうね。

浅田 彰  そうそう。本で言うと『ハリー・ポッター』とかね。まあ、大衆化が行き着くところまで行ったってことで、一応理解はするけど、実感としては何であんなものがあんなに売れるのかわからないね。しかも全部がシリーズものでしょ。たとえば今上映してる『マトリックス・リローデッド』も、第一作目の『マトリックス』が当たったから三部作が計画されて、その二本目なわけ。で、一本の映画なのに最後に「to be continued」と出る。

田中康夫 それじゃあテレビドラマだろうって(笑)。

浅田 彰  なめてるよね。『ハリー・ポッター』だって、1を買ったら2、2を買ったら3を買うわけでしょう。ああいうメガヒットになったら、どんなにつまらなかろうがシリーズ化されちゃうんだな。『スター・ウォーズ』も『ロード・オブ・ザ・リング』も全部そう。それに従順についていくファンの気持ちがわからん(笑)。


●文学者たちの危機感

浅田 彰 皇室問題に触れるってことで発表が延期されてた島田雅彦の小説「美しい魂」が、『新潮』八月号に掲載されたね。まったく話題になってないけど。

田中康夫 中身はどうなの?
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浅田 彰 退屈で読めない(笑)。皇太子妃らしき人物との禁断の恋ったって、タブーっていうほどのこともないでしょ。しかも、三島由紀夫の『春の雪』みたいに華麗でもないし。

田中康夫 島田はそれを発表するために、全国植樹祭の歌を三枝成彰と一緒につくるっていうんでしょ。

浅田 彰 作詞をするんだって? そもそも三枝成彰と付き合ってる段階でダメなのに。

田中康夫 まったく島田もダメだよね。どうしてあんなのを評価するやつがいるわけ?

浅田 彰 僕も文学界新人賞の選考委員を彼や山田詠美なんかと五人でやってきたけど、彼がいつも「戦略的」と称して突拍子もないのを推すんで、山田詠美と僕が最低のラインを守ってきた気がする。山田詠美が芥川賞選考委員に出世しちゃったんで、今後どうなるか危惧されるんだけど(笑)。

田中康夫 そういや村上春樹も『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の改訳に続いて、マンガ雑誌みたいなのを出したよね。

浅田 彰 『少年カフカ』ね。『海辺のカフカ』の読者から寄せられた質問や感想に村上春樹が答えたのをまとめたっていうんでしょ。
 ぼくは、村上春樹って、あの田舎くささと貧乏くささに耐えられなくて、どうしても最後まで読めないから、田中康夫流に「読まずに評する」しかないんだけど、率直にいって最低のものだと思うよ。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だって、旧来の野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』は、やや古臭いものの威勢のいい語り口で、なかなかよかった。村上春樹はそれを去勢しちゃったわけね。たとえば、お得意の「やれやれ」っていう言い回しで、外に対する怒りを内なるあきらめに転化して流しちゃう。小説だって同じでしょ。
 でも、たとえばノーベル文学賞が次に日本に回ってきたとき村上春樹が受賞する可能性は高いよ。海外でものすごく翻訳されてるから。彼は、アメリカのミニマリズムを日本に持ってきて、いわば翻訳小説を書いてるんだけど、それをまた向こうに持っていくから、わかりやすいんだな。そこはかとない日本的あきらめムードみたいなのをアメリカのミニマリズム風味で書く、と。
 全共闘世代転向組の加藤典洋なんかは、そこに乗っかって村上春樹論を書き、一種の権威になっちゃった。あるいは、上の世代でいうと、村上春樹は河合隼雄と仲がいい。詩人の守中高明が、この河合―村上―加藤というのが最悪のラインだって言ってたけど、それは当たってると思うな。河合隼雄に接近著しいジジイ・キラーの中沢新一とか、村上春樹の翻訳のブレーンである柴田元幸とかも、そこに加えていい。それは、端的に言うと、反田中康夫的なものであり、反石原慎太郎的なものでもあるわけ。つまり、闘ってるやつらを皮肉な目で傍観しながら、「やれやれ」と肩をすくめてみせる、去勢されたアイロニカルな自意識ね。いまやこれがマジョリティなんだなァ。
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田中康夫 なるほどね。いやぁでも大江健三郎に続く三人目のノーベル文学賞は村上春樹かぁ。

浅田 彰 まあ、川端康成の空虚な日本的美学をぐっとポップ化したのが村上春樹だって言えなくもないけどね。彼らのアイロニカルなポーズに比べると、大江健三郎はカッコ悪いのを承知でドン・キホーテ的に苦闘してきたところがいいんじゃない?

田中康夫 そういえば大江が読売新聞で「二百年の子供」とかいう連載小説をやってるのは何なの。

浅田 彰 あれは子ども向けのファンタジーなんだよね。僕は、大江健三郎にせよ村上春樹にせよ、まともな文学が読まれなくなり、『ハリー・ポッター』が世界を制覇するような状況に、敏感に反応してるとは思う。田中さんが政治家に転身したこともそうなのかもしれないけど、かつてのような文学はある意味で終わったんだから、どんどん攻めていかないとダメだっていう危機感が作家たちにあるんじゃないか。

田中康夫 まあ、それはそうだろうね。

浅田 彰 古井由吉みたいに衰弱を衰弱として見せるみたいな本当に高級な芸の境地に達しちゃえば、本が一〇〇〇部しか売れなくてもすごいって言ってられるかもしれない。でも、ある程度社会的に発信しようと思った場合、いわゆる純文学なんて言ってられないんじゃないか、と。

田中康夫 村上龍なんかはどうするのかね。

浅田 彰 だから彼はサッカー解説や経済解説の道を歩んでるわけよ(笑)。いやあ、難しい時代だねえ。
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(了)
次回更新は9月下旬の予定です!

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