日本の専業エンジニアリング会社の大きな転換点となったのが、1997年7月にタイを発信源とする「アジア通貨危機」だった。当時、日揮は、インドネシア、タイ、フィリピンで石油化学プラントの建設プロジェクトを進めていたが、通貨が大暴落した影響で、プロジェクトが三つそろって中断してしまったのである。それは、85年の「プラザ合意」以降にプロジェクトの案件自体が減少し、また急速に大幅な円高が進んだことから受注競争が激しくなって採算性が悪化した“冬の時代”を想起させる衝撃だった。

この
続きは

デジタルサービス<ウェブで読む>を利用する

ログインすると本サイトのすべての記事がお楽しみいただけます。
定期購読者の方で、デジタルサービスをお申し込みの方はログインしてください。

  • パソコン
  • タブレット
  • スマートフォン

ID・パスワードをお忘れの方

※著作権等の理由により、一部の記事・写真・図版が欠けている場合があります。