2005年4月25日を境に、来島達夫を取り巻く環境はガラリと変わった。死亡者107人、負傷者562人という大惨事となったJR福知山線脱線事故が発生したからだ。当時、広報室長だった来島は、発生直後からマスコミ対応に追われた。しかし、事実関係や事故原因について警察や事故調査委員会が調査していたため、得られる情報は極めて断片的だった。

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