「私に中国向け製品の企画をやらせてください」。2002年、三重県にある富士ゼロックスの開発子会社、鈴鹿富士ゼロックス(現鈴鹿事業所)。ここで開かれていた、ある“塾”でこんな発言をして周囲を苦笑させていた、高野賢一郎の姿があった。塾とは当時、子会社社長だった山本忠人(現本社会長)が開いていた「山本塾」という30代メンバー向けの経営塾。高野はその1期生として、毎週経営学を学んでいた。

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